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認知症が進み排便コントロールが利かなくなった父 残された母とともに試行錯誤の日々 気付かされた最も大切なこととは
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超高齢社会の日本ですが、「健康寿命(WHOが提唱した平均寿命から寝たきり、認知症など介護が必要な状態になった期間を差し引いた期間のこと)」は、2016年時点で男性が72.14歳(平均寿命80.98歳)、女性が74.79歳(平均寿命87.14歳)と、平均寿命の数値から大きくかけ離れています。つまり平均的に、男性であれば死ぬまでの約9年、女性であれば約12年もの間、“誰かに介護される生活を余儀なくされている”ということ。筆者の父も2年前、70代前半で認知症を発症しました。その父に寄り添い始まったのが連載「アラフィフ娘の明るい介護」です。前回までで父が入院していることを綴らせてもらいました。今回は、父の近況をお話ししたいと思います。
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父の病状は一進一退ではなく“一進二進”に…
お久しぶりです。アルツハイマー型認知症と診断された父を持つ、アラフィフ娘のライターです。家族としてはとても残念なのですが、父の症状はじわじわと悪化の一途をたどっています。
コロナ禍の影響から家族の見舞いがNGとなり、私自身は父の様子を見に行くことがまるでできていない状態だったのですが、週に1度、父の元に洗濯物を運んでいた母からの電話で父の状況を聞くことができていました。
「あのね。お父さん、認知症が進んだみたいなの」
悲しげにつぶやく母。理由を聞くと、こんなことを語り始めました。これまでに何度もお父さんの洗濯物を取り換えてきたけれど、ここ最近、粗相をしてしまった跡が残るようになってきたこと。ひどい時には、大便がそのままパンツやシャツにくるまれていて、洗濯してもどうしようもない状態になっていること。これは、認知症が進行した状態ではないのか? ということ。
父を入院させる際、病院側からははっきりと「快方に向かうことはまずないと心得てほしい」と言われていました。なので、ある程度覚悟はしていたのですが、まさか父親が自身の排便コントロールすらできなくなっているとは……と、さすがにショックは隠し切れませんでした。
私の父は、高校を卒業した後、外資系の企業の技術職に就き、昭和の男性ならではの「よく働き・よく遊べ」を体現してきた人でした。給料の半分以上を小遣いにして自由に使い、ゴルフに競馬にマージャン、海外旅行と派手に遊び回り、ずいぶんと母を苦しめたようです。
会社を早期退社して自身で会社を興した後も、悪い意味での「昭和感」を改めることができず、家を出て会社に寝泊まりし、洗濯物が溜まるとぶらりと家に戻ってくる、そんな生活を送ってきたのです。
母から見たら、父は決して「良い夫」ではなかったことでしょう。それでも娘である私から見れば、自由な思考を持ち、子どもたちの生きざまに対して必ず応援してくれる、頼もしい父親でした。
お恥ずかしい話なのですが、私は大学卒業後に就職した出版会社を3日で辞めたことがあります。入社するまでは、希望していたウェブを用いた開発を行う部署(今で言うウェブマガジンのようなものを立ち上げる。30年ほど前は、こうした部署はとても珍しかった)に行くことが内定していました。しかし、その部署の部長さんとも何度も話をしていたのですが、なぜか入社した翌日、営業部に配属されてしまったのです。
私はその日に退職を決めたのですが、このとき母と兄からは「入社してすぐに辞めるなんて安直すぎる! もうちょっと待っていれば希望する仕事に就けるかもしれないのに!」とかなり責められました。しかし、父は違いました。
「お前みたいな(元気がよく、物怖じせずに誰とでも話す)タイプなら、俺がその会社の人事部だったとしても営業に据えると思う。そしてお前は、持ち前のバイタリティで営業の仕事をそつなくこなしてしまうだろう。そうなると、お前が本来希望する部署に行ける可能性はゼロに等しい。もしも営業職に就くのが嫌なら、明日にでも辞めろ。お前を営業マンにするための教育に時間をかける方が、会社にとっては大きな損害になる」
翌日、私は退職願いを提出しました。多方に迷惑をかけたと思いますが、今、こうして自分に向いた仕事に就いていることを考えると、あの時の父の言葉に間違いはなかったと思っています。