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「性差(ジェンダー)の日本史」展はなぜ話題? アラサー男性記者が潜入レポ

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 佑輔

「性差(ジェンダー)の日本史」展 展示代表・横山百合子教授【写真:佐藤佑輔】
「性差(ジェンダー)の日本史」展 展示代表・横山百合子教授【写真:佐藤佑輔】

「国立歴史民俗博物館」の企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」が注目を集めています。日本の歴史研究の中でもあまり語られることのなかった“女性”について、女性史研究の視点から“男女”の区分が生まれた理由や、その中で人々がどう生きてきたのかを示す、一歩踏み込んだ内容です。そこで編集部は、あえて「31歳の男性記者」に本展をレポートしてもらいました。展示代表・横山百合子教授の詳細な解説と明快な指摘も必読です!

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固定概念を見事に言い当てられてしまった記者

 これまでジェンダーという言葉こそ知っていたものの、深く考察はしてこなかった記者。「男女の区別、性別による職業分担といっても、そもそも身体的に違いがあるのだから、合理的な理由があって発生したものだろう」という考えを持って同館を訪れた。

 まずは第1章の「古代社会の男女」を見学。横山教授によると、この時代には政治的空間や社会的な意味において男女の間に差はなかったという。

「卑弥呼はご存じですね? フィクションの影響で、卑弥呼が巫女として祈祷や占いを行い、その下で男性たちが実務的な政治を行うというイメージがあるかもしれませんが、中世まで巫女は男女両方いて、男も女も政治的なリーダーとなるには占いができないといけなかった。邪馬台国は大きな力を持っていましたが、卑弥呼が女性として特別だったわけではなく、在地には他にも多くの女性の首長がいました」

 そこら中にごく当たり前に女性のリーダーがいた古代。7世紀末になると律令制度が導入され、初めて男女が名前で区別されるようになるが、大和政権の官人や地方豪族の中にも女性の指導者はまだまだおり、政治の実態上では男女の官僚がいた時代がしばらく続く。

 中世になるとさらに、女性は政治の表舞台から姿を消す。清少納言が「枕草子」で怒っているように、出世する男とそれに仕える妻という幸せの価値観の違いも現れる。とはいえ、当主男性が不在だったり、機能しなかったりすれば、女院や北条政子のような女性当主が家を統率するし、自ら財産を持ち運用する女性も多くいた。

 ……ははあ、なるほど。古代、中世と進むにつれ、記者の中でも大まかな話の流れが見えてきた。日本は絶えず中国の政治システムを導入し発展してきたので、その過程で父系的な価値観も移入してしまい、ジェンダー格差が広がったということか。

 しかし、横山教授はかぶりを振り「古代は男女ともに田植えをしていましたが、平安時代の終わりになると早乙女といって田植えが女の仕事となります。一方、中国では田植えは男の仕事なんです」と、“男の仕事・女の仕事”も時代や地域によって違うという例外を挙げる。

「ジェンダーへの関心が低いと、どうしても男の仕事、女の仕事というものに合理的な理由を探したくなるんですよね。男は力仕事、女は繊細な作業というように。例えば、医者は体力がいるから男の仕事と言ったって、それなら看護だって体力仕事。そこに本質的な差はないのに、男女で分けることを前提にして合理的な理由を見つけようとする」と横山教授。記者が来館前に抱いていた固定概念を見事に言い当てられてしまった。

日本的な考えと西洋の価値観が最悪の形で混ざり合ってしまった日本のジェンダー

 近世に入ると家父長制が進み、政治の世界のみならず社会全体が男性を中心とするようになっていく。江戸時代には身分制度が徹底され、人々は身分や集落単位で区分け、管理されるように。女性は誰々の妻、誰々の後家というように“男性に属するもの”と見なされ、専門職を持つことさえ認められない時代となっていく。

 家父長制のもと“家”を土台として活躍していた女性の役割が一掃されたのが近代だ。政治そのものが家を単位としない個の実力主義になったことと同時に、フランス革命当時の男性優位という近代思想もあって、家の“奥”の構成員として一定の役割を果たしてきた女性たちは政治空間から完全に排除されることになった。

 その後、民主化とともに女性の社会進出が進み、少しずつ改善を繰り返しながら、今日の男女のあり方に通じているという。

 日本的な“家”という考え方と男女の区別に重きを置く西洋的な価値観が、最悪の形で混ざり合ってしまった日本のジェンダー。封建的な時代から民主主義の現代へと通じるステップの1つが近代と思っていただけに、文明開化がかろうじて残されていた女性の役割を押し流したというのは少し意外だった。メモを取りつつ“女性の仕事”について考えをめぐらせていた記者が次に案内されたのは、今回の展示でもっともセンシティブかつ、避けては通れないテーマを扱った一角だ。