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【私の家族】具志堅用高さん テレビでも人気だった愛犬との別れを初告白 「グスマンは最高だった」

公開日:  /  更新日:

著者:中野 裕子

「1か月ぐらいはグスマンのいない毎日に戸惑ったね」

グスマンくんとの別れを惜しみつつも、笑顔で当時のことを語ってくれた具志堅さん【写真:荒川祐史】
グスマンくんとの別れを惜しみつつも、笑顔で当時のことを語ってくれた具志堅さん【写真:荒川祐史】

 グスマンはお父さんもお母さんも、兄弟も、アメリカのドッグショーでチャンピオンになったほどの立派な血統だったんだよ。顔が、私が21歳で世界チャンピオンになった時の対戦相手、ファン・ホセ・グスマンに似てたからグスマンって名付けたんだけど、女房に「こんな怖い犬、飼えない!」と反対されちゃった。それで3か月間、千葉にあるボクサー犬訓練所できちんとしつけをしてもらったんだよ。だから、行儀が良くて全然、悪さはしなかった。私が食事する時はきちんとそばに座って、テーブルの上の人間の食べ物を欲しがったりもしなかった。

 ただ、猫は天敵だったね。猫を見つけると我慢できずに飛びかかっていっちゃう。だから、毎日朝と夕方の最低2回、1回40分散歩してたんだけど、最初の頃、散歩中に猫を見つけたグスマンに引っ張られて、何回か吹っ飛ばされたよ!(笑) グスマンは家でトイレをしないから、雪でも雷でも嵐でも、カッパ着せて散歩してね。朝4、5時頃から「散歩行こう」ってドアをガンガン叩くから目覚まし時計がいらない(笑)。私もいい運動になってた。今は孫と“グスマンコース”を散歩するけど、ちょっと体重は増えたよ。

 あんまりかわいくて、甘やかしておいしいものを食べさせてたねー。イギリス製のドッグフード「CANAGAN」を朝夜1回500グラム。子どもの頃はたまに鶏の頭とか、調子悪い時は牛の生肉やおから。おやつもよくスーパーに一緒に買いに行ったなぁ。お風呂も10日にいっぺん、家の風呂場でシャンプーしてました。ブラッシングしたり、指サック歯ブラシで歯を磨いてあげたり……。身体の大きいグスマンのために冷暖房完備の部屋を建て増しして家の中で飼ってたんだけど、私が家に帰ると車の音で気付いて走ってきて、飛び付いてきてました。

 ボクサー犬って顔は怖いけど、おとなしくて人懐っこいんだよ。普段はおとなしくて優しい。私は孫が5人いるんだけど、グスマンは赤ちゃんがいるとそばにいて、ずっと守ろうとするんだよ。近所の子どもたちにも人気だった。ロケでは集中力があったけど、その分諦めは早いから、何度もしつこく同じことをやると怒っちゃって(笑)。でも、基本的に人が好きだから、テンションが上がってはしゃいでたね。ロケで勝浦のプールにライフジャケット着て入ったり、埼玉で一緒に気球に乗ったり、防災訓練もしてさ。本物の(元対戦相手の)グスマンにテレビで対面させようとして、番組制作の人がグスマンの住むニューヨークまで行って交渉したこともあるんだよ。実現はしなかったけど、(犬の)グスマンの写真を見たグスマンは「似てないよ~」って笑ってたって(笑)。いい思い出がたくさんあるよ。

 グスマンが亡くなって、ブリーダーさんがすぐに「またボクサー犬を見に行こう」って誘ってくれた。「またすぐに飼いたくなるよ」って。でも、「しばらくは無理ですよ」って断った。1か月ぐらいはグスマンのいない毎日に戸惑ったね。街へ出ても、わんちゃんの散歩をしている人を見ると「ああ、グスマンとよく散歩したよな」って思い出して……。悲しいからさ、できるだけ思い出さないようにして、忘れようと思っているけど忘れられないよね。やっぱりグスマンは最高だった。

 グスマンは血統がいいから立ち姿が堂々としていてかっこよかったけど、やっぱり顔が好きだったなぁ。ボクサー犬はみんな同じように見えるかもしれないけど、みんな全然違うんだよ。グスマンは表情も豊かでさ。厳しい顔をすることもあれば、寂しそうな顔をすることもある。不細工みたいなんだけど、それがかわいくて、ずっと見てても飽きなかったんですよ。

◇具志堅用高(ぐしけん・ようこう)
1955年6月26日、沖縄県石垣市生まれ。県立興南高校1年の時ボクシングを始め、卒業後の74年、プロデビュー。76年、ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)を破ってジュニアフライ級(現・ライトフライ級)世界王者に。沖縄出身者初、またプロデビューから国内最短での世界王者(当時)となった。80年、日本男子最多の13度の防衛に成功し、翌81年引退。その後はボクシング解説やバラエティで活躍。20年10月、YouTubeチャンネル「具志堅用高のネクストチャレンジ」開設。

(中野 裕子)