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仕事・人生

【私の家族】「生徒諸君!」の漫画家・庄司陽子さんは愛犬のお産から介護まで 「みんな私の子どもたち」

公開日:  /  更新日:

著者:中野 裕子

愛犬たちを「自分の子どものよう」と語る庄司さん。お産から介護までを経験してきた【写真:荒川祐史】
愛犬たちを「自分の子どものよう」と語る庄司さん。お産から介護までを経験してきた【写真:荒川祐史】

逆子の難産も経験 「命の誕生って本当に素晴らしい」

 お産は全部で10回ぐらい経験したので、私1人でも助産師さんができるぐらいにまでなりました。1度、逆子だったことがあって、首が子宮口に引っかかって出てこず、大変だったことがありました。母犬は疲れ切っちゃっていきんでくれないし、私は赤ちゃんが羊水でヌルヌルしてるからうまく掴めず引っ張り出せない。羊水を拭き取って、ガーゼでくるんで、「あと1回だけいきんでくれる?」って声をかけたら「う~ん!!」っていきんでくれて、スルッと産まれました。

 それから、口で赤ちゃんの鼻から羊水を吸ったり、お湯と氷水に交互に浸けて刺激したり、それでもダメだったから最後にバンッ!! って思い切り振ったら、ようやくビシャッて水が出てきて「みゃあ!」って鳴いて……。もう感動!! 命の誕生って本当に素晴らしいですよ。赤ちゃんがかわいくて、愛おしく感じられて。本当に自分の子どものように感じますね。

 介護もしましたねぇ。母の介護も5年やりましたけど、犬も最後は看病や介護が必要ですから。棗のお嫁さんの「皐月(さつき)」はこの6月に亡くなったんですけど、2年前に日本動物高度医療センターで検査してもらったら肺がんと診断されて、「1か月生きないでしょう。手術もできません」って言われたんです。諦められなくて、肺の専門医に診てもらって抗がん剤治療をしてもらい、鼻からチューブで栄養剤を入れてあげたりしたら、2年も生きてくれました。我が家最長の18歳まで生きた子は、最後は酸素ボックスに寝かせて体位を変えてあげたり、指でうんちも取ったりしてあげましたね。

 漫画で忙しいのによくやった? スタッフの力がなければ無理でしたが、犬も漫画も大好きだから! 仕事は確かに忙しくて、これまで全部で100タイトル以上、月に250ページ描いていた時もありました。若い頃は腱鞘炎で指が痛くて痛くて、痛みをこらえて描いていると涙が出てくるんです。原稿用紙に涙が落ちたら困るので、タオルを顔の輪郭に沿ってグルッと巻いて原稿を描いていました(笑)。

 結局、親指はボルトを入れたりして何回手術したかしら……。利き手の右手の指の第1関節は全滅。それでも描きたくて、今は月刊誌「Jourすてきな主婦たち」(双葉社)に「Let’s豪徳寺! SECOND」と、「BE・LOVE」(講談社)に「生徒諸君!Kids」を連載し、毎月合計72ページ描いていますよ。読者には楽しんでもらえているみたいで、この9月に出版した「Let’s豪徳寺! SECOND」の1巻は重版がかかりました。

 私はずっと独身でしたから、私がお腹を痛めて産んだ子はいません。もちろん恋愛はしてきたから、もし子どもができたら産もうと思っていました。でも、そういう機会に恵まれなかった。だから、本当にこの子たちが私の子どものようなもの。また、描いてきた作品の一つひとつが子どものようでもあります。皆さんがよくご存じなのは「生徒諸君!」や「Let’s豪徳寺!」だと思いますけど、私が注いだ熱量はどの子も皆、同じ。同じようにかわいい。好きな漫画を描いて、好きな子どもたちと一緒に暮らしてきた私は、とても幸せな人生を送ってこられたと思っています。

 棗や柘榴、柚子とのお別れが来て、みんないなくなってしまったら、さてどうするか……。今から考えるのはかわいそうだから、最後の子を送ってから考えようと思っていますけど、ロボット犬でも飼うのかもしれませんね(笑)

◇庄司陽子(しょうじ・ようこ)
1950年6月4日、千葉県茂原市生まれ。トキワ松学園女子短大(現・横浜美術大学)卒。都立大森高校3年の時、講談社少年少女漫画賞で佳作に入選し、68年、短編「海とルコックちゃん」でデビュー。77年から「週刊少女フレンド」(講談社)に連載を開始した「生徒諸君!」が大人気となり第2回講談社漫画賞少女部門受賞。映画化やドラマ化された。また、81年から「月刊BE・LOVE」(講談社)に連載した「Let’s豪徳寺!」も三田寛子主演で映画化された。他に、「聖域―サンクチュアリ―」「セイントアダムズ」「I’s(アイズ)」「風を見る人」「コルティジャーナ・オネスタ」「ゴールデン・エイジ」など。21年1月16日、「Let’s豪徳寺! SECOND」2巻が発売される。

(中野 裕子)