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【私の家族】空前の“プリンセス・メグ”ブームから17年 元バレー日本代表・栗原恵さんを癒やす保護猫2匹との生活
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「次に飼う時は保護犬にしよう」と決めていた
今、半年が経ちましたけど、もう猫の魅力にやられています(笑)。何ともいえない抱き心地で、2人が生きていてくれるだけで幸せです。常に癒やされていますが、一番癒やされるといえば、「ただいま」と帰宅した時、玄関までうれしそうに走ってきて迎えてくれること。
私は今、バレーボールの試合の解説やリポーター、コメンテーターのお仕事に加えて、ビジュアル撮影、デサントMove More Beautyアンバサダーとしての活動、健康な日常を送るためのトレーニングで外出するのですが、帰るといつもお迎えしてくれるんです。家にいる時はずっと一緒。2人は私について歩くんです(笑)。2人とも本当に手のかからない、良い子。家具をかじったりもしないんですよ。
2番目は朝起きる時。紬が私のお腹の上に乗って、私の手の下に頭を入れて「触って、触って」って起こしてくれるんです。目を開けると、私の左側に寝ている縁が私の顔をジーッと見つめていて(笑)。幸せな気持ちで1日を始められます。小学校4年生でバレーボールを始め、アスリートとしてずっと厳しい戦いの中にいたので、2人の温もりを感じられる穏やかな暮らしには本当に癒やされます。
元々、実家ではコザクラインコを飼い、私が小学生の時には、うちに住み着いた野良猫と一緒に寝たりして、私は動物が大好きでした。犬を飼うことに憧れていて、現役時代に小型犬のボストンテリアを飼い始めたんですけど、遠征などの度に広島の実家で面倒を見てもらううち両親が溺愛し、結局、両親の子になった、という経験がありました。だから、「引退したら、今度こそ犬とずっと一緒に暮らそう」と楽しみにしていたんです。
ただ、次第に、世の中には捨てられる子や、十分にお世話をしてもらえない犬もいて、保護されても、里親が現れず悲しい最期を迎える犬もたくさんいることを知るようになり、「次に飼う時は保護犬にしよう」と決めていました。
微力ですが、1匹でも2匹でも悲しい思いをするわんちゃんが減るといいな、と思って。だから、引退後、最初は保護犬を探していました。ところが、何か月もずっと保護犬のインスタグラムやサイトを見てチェックしているうちに、猫の縁と紬に出逢ってしまいました(笑)。
一緒にシャワーも! 家にいる時は片時も離れない2匹
縁も紬も、うちに迎えた時は菌が原因の猫カビ(皮膚糸状菌症)を発症していました。すでに症状はある程度落ち着いていたのですが、最初はお薬を飲ませたり、病院処方のシャンプーを週1回してあげたりしていましたね。
今もサプリメントを飲ませ、2人が寝るハンモックをこまめに洗濯して再発しないよう気を付けています。シャワーは毎日、私にくっついて入ってくるので一緒に浴びて、シャンプーも2、3週間に1回してあげています。
私は今、「スポーツ報知」や雑誌「月刊バレーボール」でコラムを書いているので、パソコンに向かっている時間が多いんですけど、パソコンに向かっていると「遊んで」と甘えてきます。
趣味の絵を描いていると、「何しているのかな?」と気になるみたいでジーッと見てきて、絵の上を歩いて肉球の跡を付けたり(笑)。私、子どもの頃から美術がすごく好きだったので、今はiPadでアプリを使って縁と紬の絵を描いています。
うちに迎えた時は、触るのが怖いぐらい小さくて弱々しい命だったのに、今では2人とも4.5キロ。大きくたくましく成長し、強いパワーを感じます。2人は毎日、一生懸命生きている。私は遊んであげているはずが、実は遊んでもらっているような不思議な感覚。できる限りの愛情を与えたいなと思っているのに、実は与えてもらっているような気がします。ブリーダーさんが教えてくれたように、私の方が幸せにしてもらっているな、と日々感じています。
1984年7月31日、広島県佐伯郡能美町(現・江田島市)生まれ。両親の影響で小学校4年生からバレーボールを始め、中学校2年生で兵庫県姫路市の中学校へバレー留学。強豪校・三田尻女子高校(現・誠英高校)在学中、全日本代表に選ばれる。かわいらしいルックスから“プリンセス・メグ”と呼ばれ、人気・実力を兼ね備えたエースとして活躍。2004年のアテネ五輪で5位、08年の北京五輪で5位に入賞し日本バレー界に貢献した。19年の引退後は解説者、スポーツコメンテーター、デサントMove More Beautyアンバサダーとして活動中。
(中野 裕子)