インタビュー

親に何と言われようともこの仕事がしたかった 映画美術監督・部谷京子の「わたし流」

著者:関口 裕子

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美術監督・部谷京子さん【写真:空尾伊知郎】
美術監督・部谷京子さん【写真:空尾伊知郎】

 映画の制作現場では、1本が完成するまでに大勢のスタッフが力を合わせます。参加者全員にとって、映画は作品であり仕事。この不定期連載では、映画業界の女性たちにスポットを当て、これまでの人生やその仕事を選んだ理由など、「わたし流」の仕事と生き方を掘り下げます。初回は『Shall we ダンス?』(1996)や岡田准一さん主演『天地明察』(2012)などで受賞歴も持つ日本映画美術界の大御所・部谷京子さん。遠い業界に思えますが、そのパワフルな半生からはきっと人生のヒントが見つけられるでしょう。聞き手は映画ジャーナリストの関口裕子さんです。

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思えば今も子どもの頃とまったく同じことをしている

 1992年に周防正行監督の『シコふんじゃった。』で美術監督としてデビューした部谷京子さん。『Shall we ダンス?』(1996)と『それでもボクはやってない』(2006)で日本アカデミー賞最優秀美術賞を受賞し、また2016年には紫綬褒章も受章した、日本映画美術界を牽引する巨匠の1人です。

 実は昔、女性の映画スタッフに関するテレビ番組への出演を「お断り」したことがあるそう。当時は「そういうくくりに私を入れてほしくない」との気持ちだったそうですが、「でも今は逆に『面白いじゃない』と思えるんですよね」とのことでこのインタビューを受けていただくことができました。

 部谷さんは現在公開中の『ヤクザと家族 The Family』(2020)でも美術監督を務めています。主演の綾野剛さんは舞台挨拶で「この映画はセリフだけでなく、場面が雄弁に物語る映画なので、ぜひそこを観てほしい」と発言しました。部谷さんの手がけた美術を含めて1つの作品だという意味です。スタッフにも俳優にも信頼される部谷さんのこれまでを、2回にわたってお届けします。

 
――広島のご出身で、中学・高校は歴史あるミッションスクールに通われていたそうですね。

 母親が教育熱心だったので広島女学院中学高等学校に進みましたが、父親は旧国鉄務めで、特に裕福だったわけではありません。実は広島女学院の制服がとてもかわいかったんですよ。白の丸襟のブラウスにグレーのジャンパースカート、紺のブレザーがとても素敵だったのです。

 それを「着たいな」と思っていたら、母の考えとも偶然一致して、当時始まったばかりの推薦入学で入りました。小学校までは結構優秀だったんですよ(笑)。でも、中学に入ったら普通の人になりました。

――少女時代はどんなお子さんだったんですか?

 トレーシングペーパーのロールを家の床いっぱいに広げて、町のイラストマップみたいなものを描いていました。父が建築家で、旧国鉄の寮や駅を造る部署にいたので、うちには建築雑誌やトレーシングペーパーがロールのままあったんです。それにここに誰の家があって、こういう道でつながっていて、ここに電柱が立っていてと描き広げていき、ストーリーを作るという遊びをしていました。

 トレーシングペーパーって表面が真っ平らじゃなくてガサガサしているんですよ。そこに鉛筆で描くとガサガサと音がする。その音と鉛筆と紙の感触が本当に好きだったんですよね。思えば今もまったく同じことをしていますね(笑)。

円谷プロで「人生で最後のアルバイト」

――美術大学に進もうと思ったきっかけは?

 広島を出たいというとても不純な動機です(笑)。当時は何となく「広島には私がやりたいことはない」と思っていたので。広島にはない学部で、4つ上の兄がいる東京であれば両親も行かせてくれるのではないかと選びました。

――そんな大学生活はいかがでしたか?

 東京はとても刺激的で、大学での刺激というより、やはり町が面白かったんですよ。私は武蔵野美術大学の舞台美術専攻だったので、普通は入れない日生劇場や帝国劇場、歌舞伎座の裏側や奈落を見学できたのはとても面白い体験でしたけど。

――この仕事についたきっかけは円谷プロダクションだと伺いました。円谷プロのアルバイトは大学在学中に始めたんですよね?

 大学に入ってからはアルバイト三昧の日々を送っておりまして、何十というアルバイトをこなした末に武蔵美の学生課のアルバイト募集のファイルで、ある日、円谷プロに出会ったんです。美術助手で図面を描く補佐みたいな仕事です。

 その場のピンク電話から面接を申し込み、翌日からアルバイトを始めましたが、これが人生で最後のアルバイトになりました。大学最後の年に円谷プロのアルバイトを約1年やって、卒業してすぐに映画の仕事を始めたので。

――円谷プロで就かれた美術監督は、実相寺昭雄監督とのコンビでも知られる池谷仙克さんですよね?

 そうです。私は「恐竜戦隊コセイドン」(1978)という戦隊ものの特撮ドラマのメインセットである、飛行船のコックピットのデザインをやらせてもらいました。秋葉原でレーダーやハンドル、スイッチになるものを調達しコックピットに配置すると、今度は計器が点灯するように配線もしました。

 1人で作ったので、撮影が始まっても点灯させるスイッチの場所や、レバーを引くタイミングが分かっているのは私しかいないわけです。私がいないとそのコックピットは動かない! 撮影が始まっても絶対に必要な人になろうと思っていたので、誰にも触らせない勢いで一所懸命に操作しました。その飛行船はレノア姫がボタンを押すと発進するという設定でしたが、その指も私の指です(笑)。

 そんなこんなで現場に入り込みましたが、とにかく毎日が面白いんです! アルバイト終了後も絶対に残りたいと思っていたので、番組のプロデューサーにかけ合って月極めのスタッフになりました。スタッフは土曜夕方の放送を、お弁当を食べながら全員で見るんです。東宝ビルドの食堂でね。毎回、オープニングでは私の作った宇宙船のコックピットと私の指が映るわけですよ(笑)。そのブラウン管の先には何十万人かが一緒にこの番組を楽しんでくれている。そのことがものすごくうれしくて、「天職だな」と思いました。