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親に何と言われようともこの仕事がしたかった 映画美術監督・部谷京子の「わたし流」

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

憧れの黒澤明監督と仕事をするまで仕事は辞めない!

――助手時代はずっと円谷プロだったのですか?

 円谷プロでは「恐竜戦隊コセイドン」だけです。卒業後はちょうどその頃、東宝撮影所で準備に入っていた「将軍 SHOGUN」(1980)につきました。主演はリチャード・チェンバレンで、三船敏郎さんや島田陽子さんが出演されていた日米合作ドラマです。

 その作品の衣装デザインが京都の画家の西田真さんで、西田さんが池谷さんとお知り合いだったことで声をかけていただき、美術ではありませんでしたが、とても大きな作品だったのでやってみようと。結局、西田さんはその作品でエミー賞衣装デザイン賞を受賞しました。

――大学卒業と同時に、そんな作品に関わられたんですね。

 そうですね。でもなぜか西田さんは衣装だけでなく、帆船の中に飾る家具のデザインなんかも頼まれていて、それが私に回ってきました(笑)。装飾部の方にとっては「あんた誰?」な私が「意外と描けるじゃん」となり、1~2か月は衣装デザイン助手をしながら装飾の家具の図面も描いていました。

 でもやっぱり美術をやりたい。日本側の美術監督だった西岡善信さんや大勢いらっしゃる美術助手の方、プロデューサーに「美術がやりたい。やりたいんだ」と言い続け、通訳の女性や装飾の方の応援もあって、まだ決まっていなかった美術助手の末席に何とか潜り込みました。

――素晴らしい展開です!

 そこで1年間、「将軍 SHOGUN」の美術助手をしました。ラッキーだったのは、円谷プロ時代、池谷さんの助手だった小川富美夫(『おくりびと』2008)さんや丸尾知行(『長いお別れ』2019)さんら皆さんが、映画をやりたい人たちだったこと。

 実は私、映画が好きでこの仕事に就いたわけではなかったので、円谷プロで初めて黒澤明監督の名前を知り、作品の素晴らしさを知ったんです。諸先輩方が映画に詳しかったことで映画に興味を持った。本当に感謝しています。当時、親からはとにかく「学校を卒業したら広島に帰ってこい」と言われ続けていたんですが、「憧れの黒澤明監督と仕事をするまでは絶対辞めない!」と返事ができた(笑)。親に何と言われようともこの仕事がしたかったんです。

――後にそれも実行されるわけですね。

 はい。『夢』(1990)、『八月の狂詩曲』(1991)の2本やりました。

――その撮影の際、フランスの方から「侍ガール」と言われたとか。

 そうなんですよ(笑)。フランスの方から1枚の写真をもらったんです。白いTシャツにGパンはいて、腰にトンカチ袋下げて髪をひっつめてちょっと空を仰いでいる。たぶん『夢』の時ですね。そのトンカチが刀に見えたんでしょう、写真の裏に「samurai girl」と書いてありました。

映画を通して広く浅く勉強させてもらえることがありがたい

――美術監督デビューとなった周防正行監督との出会いは?

 周防監督とは、高橋伴明監督の『TATTOO<刺青>あり』(1982)で初めてお目にかかりました。周防さんが制作係で、私が美術助手。その時のご縁があって、周防監督の方から、『シコふんじゃった。』(1992)という商業映画を撮るという時に声をかけていただいたんです。本当によく覚えていてくださったと驚きました。

――周防監督とはその後も『Shall we ダンス?』、『それでもボクはやってない』と続き、同作品で美術賞も受賞されました。

 周防監督とはユーモアの感性というか、面白がるものが共通していたように思います。私としては、周防監督がオリジナルで作っていらっしゃることにも興味があったし、やりがいも感じていました。

――滝田洋二郎監督や最近では藤井道人監督ともよく組まれていますよね。

 そうですね。滝田さんは真面目だけど愉快な方。「美術のことは分からないから、とにかく任せたよ」とほとんど何もおっしゃらないんですが、こちらが説明することは十分聞いてくださるので納得いただいた上で作っています。ありがたいです。

――任せるとはどんなニュアンスなんですか?

 例えば『天地明察』(2012)の時に「江戸時代のプラネタリウムを作りたい」とおっしゃったのは滝田監督なんです。江戸時代なので当然、材料は木と鉄と紙しかない。オリジナルで考えました。監督も江戸時代から生きている人はいないので大丈夫だよと(笑)。そういう意味では自由な発想をしてくださるし、監督のアイデアをベースに生まれてくるものも多いです。

 特に『天地明察』の時は、水戸光圀の部屋をサンルームのように鉄で組んでガラスを入れたり、ガラスも吹きガラスのようにしたりと自由な発想で作りました。「渾天儀」という実際、江戸時代にあった天文を観察する道具も結構な大きさで作ったんです。東京大学と京都大学の宇宙学の先生に監修していただいたんですが、京大の冨田良雄先生には「とにかく、世界で一番大きな観測できる渾天儀が作りたい」とお願いし図面まで描いていただいた。いまでも京大の博物館に保存されています。冨田先生は「夢が叶った」と、とても喜んでくださいました。

――映画美術の枠を越えて、夢の世界を現実化した感じですね。

 本当に。よく「一生勉強だ」と言いますが、毎回、映画を通して広く浅く時に深く勉強させてもらえることを本当にありがたいと思っています。普通なら会えない人に会えるし、入れない場所に行けたり。映画の仕事をしているおかげですね。

 
 後編では近作『ヤクザと家族 The Family』(2021)などについての実際の仕事や、部谷さんが代表を務めている「広島国際映画祭」についても伺います。

◇部谷京子(へや・きょうこ)
広島県広島市生まれ。武蔵野美術大学造形学部卒業。学生時代より円谷プロダクションで美術助手を務める。卒業後、日米合作「将軍 SHOGUN」(1980)をはじめ、ポール・シュレイダー監督、鈴木清順監督、吉田喜重監督、深作欣二監督、黒澤明監督作品に参加。1992年に周防正行監督『シコふんじゃった。』で美術監督デビュー後、相米慎二監督、滝田洋二郎監督、河瀬直美監督、行定勲監督、岩井俊二監督ほか多くの作品に参加。近作は藤井道人監督「宇宙でいちばんあかるい屋根』『ヤクザと家族 The Family』。公開待機作には金子雅和監督『リング・ワンダリング』、藤井監督のネットフリックス版『新聞記者』がある。
【受賞・受章歴】日本アカデミー賞最優秀美術賞受賞『Shall we ダンス?』(1996)、『それでもボクはやってない』(2006)、毎日映画コンクール美術賞『天地明察』(2012)。2016年11月紫綬褒章、2020年第77回中国文化賞受賞。

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。