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松浦亜弥は太陽だった 懐かしのハロプロオタクを描く映画『あの頃。』

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

エネルギーで満ちあふれていた松浦亜弥にできること

 そもそもアイドルとは何なのか? アイドルの出現は世の景気の落ち込みと関係するとよく言われるが、もし女義太夫をその走りとすれば、貨幣経済の発達によって幕府の財政が逼迫した天保の改革に端を発するのかもしれない。ハロプロが人気を博したのもバブル経済、ITバブルが破綻した2000年前後。松浦亜弥のデビューもまさにその頃だ。

 松浦亜弥が、劔に“何も生み出さないが安穏と過ごせる時間”を与えたように、アイドルとは逼迫した心に“逃避場所”をもたらす存在なのではないか。アイドルを応援する・アイドルのことを考える行為について、一見不毛なように感じる方もいるかもしれない。だが、人生に立ち行かなくなった場合、原因とがっちり向き合うことだけが得策とは思えない。

 むしろ危険地帯からなるべく離れ、余裕を持てる場所で、自分が置かれている立場を俯瞰し、何ができるかを考えることが必要だ。アイドルとはそんな生きるための“よすが”なのではないかと思う。

 2003年、松浦亜弥は、嵐の二宮和也と『青の炎』に出演した。監督の蜷川幸雄は当時、松浦を「にこやかに現場に入って、キチッと挨拶をして皆を気持ちよくさせ、疲れた顔を見せない。その上、演技をすればちゃんと時代の空気を醸して見せる」と激賞している。「アイドルを拒否する人はバカだ。アイドルとは大衆が欲するモノの象徴。そこら辺のやつよりずっとすごい」と。

 そんな蜷川は彼らが物語を動かすことを期待していたわけではないのかもしれない。むしろ蜷川がサブリミナルに入れ込んだ『青の炎』のメッセージを、一番無防備な形で観客に届けることができる“装置”だと思っていたのではないかという気がしてならない。アイドルが生きるよすがであればそれも不可能ではない。しかも、もし観客が気力を失っていたとしてもエネルギーで満ちあふれていた松浦亜弥であれば。

 モーニング娘。や松浦亜弥らで「LOVEマシーン」を熱唱した2005年の第56回NHK紅白歌合戦。『あの頃。』の主人公たちもきっと、彼女たちの歌に感じただろう。もしかすると“ニッポンの未来”にまだ明るさは残っているのかもしれないと。あの一瞬かもしれないが、そうやって人々の背中を押したあの感触は忘れられない。

『あの頃。』2021年2月19日(金) TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー(c)2020『あの頃。』製作委員会

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。