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【私の家族】彦摩呂さんが痩せたい理由 手作りごはんが日課の愛犬2匹と“幸せ宝石箱や”な日々
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「“2人”は自分の一部」 愛犬と過ごす至福の時
ソラくんとレオくんは実の親子でも、性格が全然違います。ソラくんは繊細で勘が鋭く、優しくて我慢強い。でも時々、僕が「仕事行くよ!」と言ってシャワーを浴びると、気に入らないんでしょうね、足拭きマットの横とか、僕が必ずそこを歩くという所にわざとおしっこをするんです。それがまたいじらしい(笑)。
レオくんはまるで子ども! 「僕をかまって、かまって」って、すっごい甘えてきます。「ごはん」「散歩」「買い物」とか人間の言葉もよく理解していて、犬っぽくないですね。
2人は親子やのに自覚がない。寝る時は3人一緒なんですけど、毎晩、2人で場所取りの小競り合い。僕としてはうれしくてたまりませんけど収拾がつかないので、「ウ~ワン!」とボス犬になって怒ると、2人ともシュンと大人しくなります。
日中は、僕が洗い物をしたりして用事を片付けた後、「さ~休憩しよう~!」ってソファに座ると、左の太ももにソラくんが、右の太ももにレオくんがアゴをのせて休むんです。その状態でテレビのニュースを観ている時間が「あ~幸せやな~」と思いますね。2人は僕にとって家族というか、自分の一部みたいな感じです。
子どもの頃から動物のお世話が大好き! ミーアキャットを自宅で世話したことも
犬好きは幼少の頃から。祖父母の家でコリー犬や秋田犬を飼っていて、中学生の時には、母親に懇願して柴犬の女の子を家の中で飼っていました。座敷に抜け毛が舞って大変やったけど、家のそばの田んぼで走らせたり、近くの生駒山へよく連れていったりして、楽しかった思い出がいっぱいあります。
だから20歳の頃、大阪から上京した後も犬が飼いたくて飼いたくて、自分のマンションを購入したのを機にソラくんを迎えました。マンションを選ぶ時も「犬を飼えること」が条件でした。
「トイプードルじゃダイエットのための運動にならんやろ!」と友達に突っ込まれますけど、トイプードルが良かった。毛が抜けないし、頭が良いし、かわいいから。買い物も一緒に行くし、お散歩はほぼ毎日。近所の遊歩道をグルッと。週1回はドッグランや公園へ連れていって思いっきり走らせています。
僕は犬だけじゃなくて、動物のお世話をするのがとにかく好き。小学生の時は飼育係でしたし、上京前は半年ぐらいエキスポランド(現在は閉園)とか南紀白浜ワールドサファリ(現・アドベンチャーワールド)でキツネやタヌキ、アライグマ、ミンク、ミーアキャット、ビーバー、マングース、インドオオリス、ワオキツネザルとかのお世話をしていました。みんな、懐いてくれてかわいかった! 人工保育で育ったミーアキャットは、群れにいきなり戻すといじめられるので、僕が2週間、毎日家に連れて帰ってお世話していました。電車通勤やったのに!
犬も含め動物って、“予測愛情”が必要なんですよ。言葉がしゃべれないから、「あれ、食欲ないな。飽きたんかな」「ちょっと元気がない。具合悪いんちゃうかな」って、観察して予測して接してあげないといけない。僕は行き場のない愛情があふれているから(笑)予測愛情たっぷりです。ソラくんとレオくんがもししゃべれたら「お父さん、体重だけちゃうねん、愛情が重いねん!」って言うかもしれませんけどね(笑)。
愛犬には手作りごはん 溺愛する2匹のために自身の健康にも配慮
せっかくグルメリポーターの僕の家族になったんやから、ソラくんとレオくんにはおいしいものを食べさせてあげたくて、手作り食を与えています。ブリーダーさんや獣医さんに教えてもらって、塩分に注意し、ネギや玉ネギ、果物のブドウはダメとか気を付けながら、ささみやレバーを水煮にしたり、サツマイモとニンジン、キャベツの野菜スープにささみを入れたり。
週1回まとめて作ったものを小分けにして冷凍し、それをレンジでチンして朝晩あげています。おいしいんでしょうね。元々、食の細かったソラくんも、よく食べるようになりました。
ソラくんとレオくんは僕を守ってくれて、癒やしてくれて、1人でもよくしゃべる僕の話し相手になってくれて……何役も務めてくれています。ステイホーム中なんかは、もし2人がおらんかったらボーッとするだけやったかも。2人がおるから散歩やホームセンターに行って、気分転換ができたんです。ありがたいなあと思います。
18年に出演したテレビの健康番組で、僕は睡眠時無呼吸症候群やから「余命3年」と言われてしまったんです。3年といったら今年ですよ! 怖い……。でも、実は僕、こんな体でも、血糖値もコレステロール値も血圧も尿酸値も正常。問題は体重だけなんですよ。
かわいいソラくんとレオくんより先に死ねませんから、もっと痩せないといけませんね! 死なないにしても、誰しも怪我をしたり、入院したりするかもしれない。だから、もし僕に急に何かあったらソラくんとレオくんをどうするか、事務所の後輩にちゃんと託しています。
1966年9月15日、大阪府東大阪市生まれ、大東市育ち。本名は原吉彦。88年2月、原宿で演劇パフォーマンス集団「幕末塾」結成。同年5月、「ナイスガイ・コンテスト」(フジテレビ主催)で準グランプリに選ばれ、翌89年4月にシングル「Come on Let’s Dance」(NECアベニュー)でデビューした。現在はソロでグルメリポーターとして活躍中。6月30日まで東京・表参道のイタリア料理店「La CHIARA(ラ・キアーラ)」で「彦摩呂書画展『千年の旅へ』」開催中。
(中野 裕子)