インタビュー

「黒と赤しか存在しない世界が本当に怖かった」仙台で被災したJリーガー妻の記憶【#あれから私は】

著者:中塚 真希子

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ベガルタ仙台時代の中島裕希選手【写真提供:中島裕希】
ベガルタ仙台時代の中島裕希選手【写真提供:中島裕希】

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から、10年が過ぎようとしています。多くの方が亡くなられ、現地には今なお震災の爪痕が残る未曾有の大災害――。当時、ベガルタ仙台に所属していたJリーガー・中島裕希選手(現・町田ゼルビア)の妻である沙矢香さんに、震災を振り返ってのお話を伺いました。前後編、2回にわたってお届けします。

 ◇ ◇ ◇

その瞬間――地面は波打ち、車はボンボン飛びはねていた

 2009年に夫と結婚してから、私はベガルタ仙台のホームタウンである仙台市で暮らしていました。当時、仲良くさせていただいていたのは、夫と同じチームの梁勇基(リャン・ヨンギ)選手(現サガン鳥栖)と、斉藤大介選手(2019年引退)の奥様。

 3人でスーパーに行ったり、お互いの家へ遊びに行ったり。夫がアウェー(相手チームのスタジアムでの試合)でいない週末も、「お泊まり会しようか?」「夫がいない間に、いつもは食べられないジャンクフードも食べちゃおう!」なんてよく集まったりして、まったく寂しくなく(笑)、本当に楽しく過ごしていました。

 ところが、2011年3月11日――。

 あの日は、翌日にホームでの開幕戦を控えていて。同じチームの関口(訓充)選手がうちに夕食を食べに来ることになっていたんです。私は梁選手の奥様と、電話で夕食のメニューを相談しながら、スーパーへ行こうと家を出ました。話しながら駐輪場について、電話を切ろうとしたら……梁選手の奥様が急に悲鳴を上げたんです。

「沙矢ちゃん、地震!」

「え?」

 一瞬、ポカンとした私も、すぐ激しい揺れに襲われました。目の前の道路は大きく盛り上がり波打っているように見え、信号待ちで止まっていた車が、ボンボンと激しく飛びはね始めたんです。電話は切れてしまうし、これまで経験したことのない揺れに、私はすっかりパニック状態。

「君! 早く自転車から降りなさい!」

 工事現場の男性が声をかけてくれて、ようやく私は自分が自転車に乗ったままだと気付きました。とはいえ、自転車から降りても激しい揺れが続いていて、立っていることもできない。地面に座り込んで、ただ震えていました。

 すると近くにいたおばあちゃんが、私の方に駆け寄ってきてくれて。

「あなた、大丈夫?」

「おばあちゃんも大丈夫ですか?」

 お互いに励まし合い、ようやく周囲を確認する余裕が持てたんです。

「大地震だ!」

 と、周囲の人たちは大騒ぎで。車道は、停電で信号が機能せず、地割れも起きていて。逃げようとする車がぶつかり合い、あちこちで事故が起きていました。そうこうするうち、周りでこんな声が聞こえ始めたんです。

「これは、津波が来るかもしれない」

 当時の私は、仙台に住み始めて2年足らずで、土地勘がそれほどあるわけじゃない。

「こんなところまで津波が来るの!?」

 そう思うと、本当に恐ろしくて仕方ありませんでした。だけど、どこへ行ったらいいのか、何をしたらいいのかまったく分からなくて。ひたすら携帯で、誰にもつながらない電話をかけ続けていました。

「手をつないで行こうね」 見知らぬ女の子と非常階段で上を目指した

 しばらく経って、ようやく夫と電話がつながりました。

「今、家に向かっているから。すぐ行くから、そこで待っていて!」

 普段は練習場からうちまで30分もかからないのに、夫が帰ってきたのは、それから1時間以上も後のこと。再会してすぐ、私たちは部屋へ置いてきた愛犬のチワワ、モコちゃんの救出に向かいました。

 当時、私たちが住んでいたのはマンションの27階。エレベーターが止まっていたので、非常階段を使ったのですが……。夫は現役Jリーガーだけあってスイスイ上っていくのに、私は全然ダメで。先に行って、モコちゃんを助けてほしいと頼んだんです。

 非常階段は、津波を避けようと上を目指す人たちで、ごった返していました。おまけに登っている間も何度も余震があり、怖くて怖くて……。階段の途中に中学生くらいの女の子が「怖くて上れない」と泣きながら座り込んでいたので、「手をつないで行こう」と、一緒に登って行ったことを覚えています。

 そうしてようやくたどり着いた部屋の中は、信じられないほどグチャグチャ。冷蔵庫は倒れ、食器やガラスの破片がそこら中に散らばっていて。

 だけど、ありがたいことにモコちゃんは無事でした。夫が部屋に入った時、ソファの一番端で震えていたそうです。部屋の惨状を見た私は頭が真っ白になって、うっかり靴を脱いで部屋へ上がろうとするなど、すっかりパニック状態。一方で、夫はずっと冷静でした。

「しばらくこの部屋には住めないから、最低限のものだけ持って避難をしよう」

 と、必要なものをカバンに手際良く詰めたり、ブレーカーを落としたり。

 彼がそうやってどっしりかまえてくれていたおかげで、私も徐々に落ち着いてきて、身の回りのものをバッグに詰め始めることができました。とはいえ、やっぱり冷静ではなかったんでしょうね。今も、何をどうやってバッグに詰めたのか、ほとんど記憶がありません。