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「黒と赤しか存在しない世界が本当に怖かった」仙台で被災したJリーガー妻の記憶【#あれから私は】

公開日:  /  更新日:

著者:中塚 真希子

チームメイトの家族と合流 テレビのニュースで見たのは…

 犬がいるから避難所へは行けないだろうということで、私たちは車中で過ごすことにしました。だけど、うちの車のナビにはテレビ機能がついておらず、携帯もまったく使い物にならなくて。情報は全然入ってこないし、辺りは暗くなり、雪もどんどん降ってきて……。夫が一緒にいるのに、私は怖くて心細くて仕方ありませんでした。

 当時、何が一番怖かったか。思い返すとそれは、明かりのない真っ暗闇の夜なんです。

 町中が停電しての、真っ暗闇。目に見えるのは車の赤いテールランプと、遠くに見える火事の炎だけ。黒と赤しか存在しない世界が、本当に怖かった。

 もっと人がいるところに行きたい――。

 そこで私はふと、梁選手と斉藤選手の家は近所だから、一緒に避難をしているかも! と思い付きました。近くに避難できそうな大きい駐車場があることも思い出したので、そこへ行ってみることにしたんです。

 案の定、梁選手と斉藤選手のご家族は、その駐車場にいらっしゃいました。再会できたのはたぶん、夜の9時頃。だけど無事を喜び合う間もなく、「大変なことになっているよ」と。

 梁選手の車のナビについていたテレビを見て、私も夫も絶句しました。

 そこで初めて、何が起きていたかを知ったんです。どれほど大きな地震だったのか、そしてどれほど大きな津波があったのか。けれど、状況を知ることができ、私たちはこれからすべきことを冷静に考えられるようになりました。

 梁選手の奥さんは妊娠中で、斉藤選手の家には生後間もないお子さんがいる。となれば、まずは食糧を手に入れなくては。そう考え、私と夫は近所のスーパーへ向かったんです。

 ところが、もう夜も遅いのに、すでにスーパーの前にはすごい行列が……。私たちもその列について、ほぼ徹夜でお店が開くのを待ちました。

徹夜でスーパーに並び、バナナ1本をみんなで分けた

 明け方になって、お店の人が外に食料を並べてくれました。

「1人、2品までです!」

 そこでようやく、みんなで食べられそうな食料を手に入れられたんです。とはいえ、例えば“1品はバナナ”を選んでも、“1房”じゃなくて“1本”。それをみんなで分け合う状態。食料もないし、ガソリンだっていつ尽きるか分からない。私たちは、話し合いを重ねました。

「これからどうしようか」

 妻たちの意見としては、車で行けるところまで行って避難しよう、というもの。だけど、夫たちは違いました。避難より何より、チームのことが頭にあったようで。

「チームから連絡が来ない限り、俺たちは動けないよ」

 そんな場合じゃないし、とにかく逃げなきゃ! と、私たちがいくら言っても、頑として受け付けませんでした。

「今はまだ監督から、何の指示もないから」

 その一点張り。家族だし、別々に行動をすることも不安で結局、駐車場に車を3台並べ、私たちは避難生活を送りました。2晩ほどを車で過ごしたのですが……。何と、斉藤選手の奥様のお父様が大きなバンに乗って、京都からレスキューに来てくれたんです!

 こうしてまずは女性と子どもが避難しよう、ということになりました。そして、男性陣はここにとどまってチームの指示を待つことに。

 出発の時、女性陣は大号泣でした。夫の顔を見られるのは、これが最後かもしれない。もう二度と会えないかもしれない――。

「必ずまた会えるから。俺たちは絶対大丈夫だから、信じて」

「絶対に1人で行動しないでね。みんなで一緒にいてね」

 そう約束をして、私たちはようやく出発できたんです。その後、私はバンに乗せていただいて途中まで行き、新幹線に乗り換えて、ようやく実家のある横浜にたどり着くことができました。

<続く>

(中塚 真希子)