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仙台に残った夫を思うと涙が止まらなかった…Jリーガー妻が語る3.11のその後【#あれから私は】

公開日:  /  更新日:

著者:中塚 真希子

48日ぶりの試合で感じた「生きているって、すごい」

震災からの再開初戦で敵地に駆け付けたベガルタ仙台のサポーター【写真:Getty Images】
震災からの再開初戦で敵地に駆け付けたベガルタ仙台のサポーター【写真:Getty Images】

 そうして地震から約1か月半が過ぎた、4月23日。48日ぶりにJリーグが再開されることになりました。だけどもちろん、まだサッカーなんて見ている状況ではない方もたくさんいらっしゃいましたから。夫の中には、葛藤もあったようです。

「サッカーがしたいとは言っていたけれど……。本当に、こんな状況でしてもいいのだろうか?」

 それでも、自分はフィールドの上でしか頑張る姿を見せることができない。試合を観ていただいた方に、少しでも元気を分けることができたら――。そんな気持ちで試合に臨んだのだと思います。

 私ももちろん、会場へ向かいましたが、最初から最後まで、いろいろなことを思い出しながら、90分ずっと泣きっぱなしでした。

 あの時の光景や衝撃、そして犠牲になられた方々のこと。それを思うと涙が止まらなくて。そして、対戦チーム(川崎フロンターレ)のサポーターさんたちが、仙台に向けてくれた、温かなエール。それが本当にありがたかった。今、こうしてサッカーができていることが、本当に不思議で。

「生きているって、すごい。命って、すごい」

 そんなことを考えて、私は震えながら泣いていました。その日は、ベガルタ仙台が勝利しましたが、その試合では本当にたくさんのものをいただきました。そこで私は、自分を奮い立たせることができたように思います。

水道から水が出ることもスーパーで買い物できるのも“普通”じゃないと気付いた

36歳になった今も現役でFC町田ゼルビアを牽引する中島裕希選手【写真提供:FC町田ゼルビア(c)FCMZ】
36歳になった今も現役でFC町田ゼルビアを牽引する中島裕希選手【写真提供:FC町田ゼルビア(c)FCMZ】

 震災後、ベガルタ仙台の選手やスタッフはボランティアをしていて、夫もよく出かけていっていました。何か少しでも、自分にできることはないのだろうか――。みんながそんな思いだったのだと思います。

 あれから夫はベガルタ仙台を離れ、モンテディオ山形を経て、今は町田ゼルビアというチームでサッカーを続けています。私も、山形で子どもを授かり、今では2児の母親になりました。取り巻く環境は変わったけれど、あの時のことはちょっとでも風化してほしくないし、当時、自分たちがそこで過ごした時の気持ちも、忘れたくありません。

 そのために、自分たちに何かできることはないか。そう考えて、本当に些細ではありますが、私たちは今も毎月、募金をしています。そして毎年、3月11日14時46分には必ず、どこにいても黙祷を捧げます。夫は練習場や車の中で、私は家で。そしてその後は必ず、メッセージアプリや電話で言葉を交わすんです。

 また、あの地震を経て、いざという時の備えをしっかりするようになりました。被災して以降、懐中電灯を必ずバッグに入れ、いつも持ち歩いています。

 さらに、子どもがいる今、もし避難生活となったら、あの時以上にもっと大変だろうと思うんです。例えば、大人なら数日ほぼ飲まず食わずで我慢できても、子どもは無理。それに、あの時は子どものおむつなど衛生品からなくなっていきましたから、手に入れることが難しくなるかもしれない。

 そんなことを考えて、避難グッズは子どものものを多めに、常に用意してあるし、いざという時にどこで待ち合わせるかなども、家族でしっかり話し合っています。

 あの経験から、考え方にも大きな変化がありました。それは、「今やれることは、今やろう」ということ。以前の私は、割と未来を考えて生きるタイプだったんです。5年後、10年後にこうなっていればいいや、と。だけど、「明日でいいや」は違うんですよね。

 そして、スーパーで何かを買えることも、水道からお水が出てくることも、“普通”じゃないことを知りました。“普通”が自分の日常で紡がれることに感謝して、一日一日を大切に、後悔せずに生きていたい。

 今の私は、そんな風に思っています。

<終わり>

(中塚 真希子)