インタビュー

仙台で被災したJリーガー「あと30分違っていたら…」 妻が語る3.11【#これから私は】

著者:和栗 恵

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ベガルタ仙台時代の渡辺広大選手(左)【写真:Getty Images】
ベガルタ仙台時代の渡辺広大選手(左)【写真:Getty Images】

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年が過ぎました。仙台市では震度6強を観測し、一時は138万戸が停電。死者は1000人近くに上るなど深刻な被害となる中、プロのアスリートも被災しています。当時、ベガルタ仙台に所属していたJリーガー・渡辺広大選手(現ザスパクサツ群馬)の妻ゆかさんに、震災を振り返ってのお話を伺いました。前後編、2回にわたってお届けします。

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何でもない日常が悪夢に変わった日

 当時、私は仙台市泉区のマンションに住んでいました。夫は練習に出ていたので、2歳4か月の長女と6か月の長男、2人を連れて近所の児童センターに出かけ、たっぷり遊んで疲れた子どもたちとともに帰宅。少し遅めのお昼寝を……と子どもたちを寝かし付け、さて私も少し休憩しようかな、とコーヒーを淹れたところであの地震が発生したんです。

 立っていることができない激しい揺れが長く続き、「子どもたちを助けなきゃ、でもどうすれば?」と頭の中が真っ白に。当たり前のことですが、今まで体験したことがない揺れに驚くことすらできず、ただただ戸惑うばかりでした。

 夫はその時、ちょうど練習を終え、沿岸部へ買い物に出ようとしていたようです。すぐに「大丈夫だった? すぐに戻るね」と連絡があり、そこでようやく「子どもたちのためにも、気をしっかり持たなくちゃ」と思えました。

 でも、夫が戻ってきたのはそれから1時間以上も経ってから。信号が止まっていたため大渋滞で、大変だったようです。途中のお店に車を停めさせてもらい、そこから走って帰ってきてくれたのですが、夫の姿を見たときはホッとしました。

「沿岸部に向かっていたので、あと30分違っていたら家に帰れなかったかもしれないし、自分自身もどうなっていたか分からない」

 後に夫からそう聞き、愕然としました。当日は雪がちらつき、足元がかなり悪い中、1秒でも早く……と走って顔を見せに戻って来てくれた夫に感謝しています。

 被災後はすぐに停電してしまったため、実は津波の被害などについてはまったく分からなかったんです。ラジオで「津波が来た」という情報だけは得られたものの、どんな状況になっているのか想像もできませんでした。

 今思えば、車の中のテレビを使えばよかったのですが、あの時はそんなことにすら頭が回らなかったんです。私たちが津波の被害について知ったのは、それから4~5日経ってから。沿岸部が大変なことになっていたなんて思いもしませんでした。