仕事・人生
3.11の記憶を風化させないために毎年会話 被災したJリーガー妻の現在【#これから私は】
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2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年。まだまだ復興の途上にありますが、回復の兆しが見える地域も出てきています。こうした中、被災した人たちの心の中にはどのような変化が起こっているのでしょうか。当時、ベガルタ仙台に所属していたJリーガー・渡辺広大選手(現ザスパクサツ群馬)の妻であるゆかさんに、震災を振り返ってのお話を伺いました。今回は後編をお届けします。
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トレーニングを欠かさない夫の姿を通じて自分も奮起
幸いなことに大きな被害もなく、怪我もなく……不便ではありましたが、私たち家族は震災後も何とか生活することができました。ただ、課題となったのはやはり夫のこと。身体が資本であるサッカー選手という仕事に就いているのに、思うように動くことができずにいたんです。
私の地元の小学校など近所で、とにかくひたすら走り込んでいたのを覚えています。当時は本当につらい思いをしていたと思います。夫は試合に出ている時も出ていない時も手を抜かずに頑張る人。怪我をして試合に出られない時でも、一生懸命に練習に励んでいる姿に心を打たれたのを覚えています。
また、夫は、震災後のボランティアにも熱心に出かけていました。同級生の大久保剛志選手(当時ベガルタ仙台所属、現タイ・ラヨーンFC)とともに、被災した子どもたちを元気付けに行ったり、民家の片付けを手伝いに行ったり。
田んぼの真ん中に車が止まっていて、そこにバツ印が書いてあって……そうしたつらい現場も、夫はずいぶんと目にしたようで「あの景色が、今でも頭から離れない」と言っています。もう10年、されど10年。あの時の記憶は、簡単に消せないものなのでしょう。
震災からしばらく経った頃、夫は千葉県で行われたキャンプに参加したのですが、まだまだ宮城県では余震が続いていたのでとても心配してくれました。夫が言うには「家族を置いていっている、という怖さがあった」そうなんですが、私は当時まだ実家にいたので、夫を笑顔で送り出したんです。
だって……試合が始まるのであれば、それに向けて頑張ってもらう以外にないですからね。それから、サッカーで伝えられることも多いのでは、と。であれば、夫にはできることを頑張ってもらうしかないですから。夫にはそんな私の気持ちが伝わったようで、安心して練習に専念できたと話してくれました。たくさんの人の支えがあって、チームは震災後初戦となった敵地での川崎フロンターレ戦に勝利してくれたので、うれしかったですね。
まだ子どもが小さかったので、私はその時の試合を見にいくことはできなかったのですが、家で祈るようにして見ていました。ベガルタ仙台を、サッカーを好きで応援してくれている人たちが、選手の皆さんが頑張る姿を見ることで「自分たちも頑張ろう」と思ってくれたらいい……そんな気持ちで見ていたように思います。