仕事・人生
農業1年目のド素人 「絶対無理」と言われるイチゴの無農薬&無化学肥料栽培に挑む理由
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コロナ禍で日常のさまざまな生活様式が変わっていく昨今、自分の生き方を見つめ直す人も増えています。昨年、仕事を辞め、都内から福島県会津地方に移り住んでイチゴ農家に転身した渡辺葉月さんもその1人。新規就農者が年々増えている中、その魅力と現実はどういったものなのでしょうか。全国的にほぼ前例がないといわれるイチゴの無農薬・無化学肥料栽培に奮闘する、渡辺さんの素顔に迫りました。
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「保育」から「農家」へキャリアチェンジ
「コロナ禍になって『このまま雇われてるだけじゃダメだ、自分で稼ぐ力を身に着けなきゃ』と思ったんです」
そうした考えのもと昨年10月、福島県大沼郡会津美里町にある農業法人、有限会社自然農法「無」の会(以下、「無」の会)に転職して“農家”となった渡辺さん。完全に違う畑へとキャリアチェンジした自身を、「農業1年目の若手ド素人」と語ります。
中学時代はバスケットボール部で神奈川3位、高校では女子野球部で全国大会3連覇を達成するなど、元々は生粋のスポーツ少女。大学でランニングの指導法やスポーツ心理学を学ぶ傍ら、YMCA(キリスト教青年会)主催のボランティアや野外活動などを通じて子どもと関わる楽しさを発見し、卒業後は東急電鉄グループが運営する学童保育に就職します。
「子どもが好きとか、かわいいというわけではなくて、エネルギッシュで人間として学ぶところがたくさんあるなと思ったんです。『大人が好き』とは言いませんよね。私の中では大人も子どもも『人が好き』の延長なんです」
子どもが持つ人間としての魅力やエネルギーに魅了され保育の道を歩み始めましたが、一方で雑務によって現場で十分な時間を過ごせないことに葛藤を覚え、1年で退職することに。その後、沖縄県石垣島への移住を経て、東京に戻るとジャズクラブでの仕事もかけもちしながらアルバイトとして保育の現場に復帰。2年目を迎えた頃コロナ禍に見舞われ、前述の通り大きな心境の変化が訪れました。
「私には何かを極めたという経験などないのですが、それでもやっぱりどこかで独立しなければという思いがありました。そこで、まず考えたのが『自分を追い込む』ということでした」
そう考えた渡辺さんは、約3年間携わった保育の道を捨てました。この時、自身の中では「やり切った」という感覚があったそうです。