仕事・人生
ピエール・エルメともコラボ 独学でピクルス作りを始めた女性が成功した理由
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さまざまな分野で活躍する女性たち……と聞くと、「自分とは異なる世界で生きている」「自分とは違う特別な人なのでは」と、まったく関係のない話だと感じてしまう方が多いかもしれません。とはいえ、「生きる」中で感じることや苦悩は、どのような立場でも存在しています。そんな「特別」と思いがちな人物にスポットライトを当て、それぞれの人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。第2回(前編)は愛媛県内子町のおいしい食材を、全国、そして世界に発信する齊藤美香さんです。
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物心ついた時からモノづくりが大好きだった齊藤美香さん
手なじみの良いコロンとした瓶いっぱいに詰められた、「色とりどりの美しい」ピクルスたち。どこか懐かしさが残るシールに、黒字でデザインされた「GOOD MORNING FARM」のロゴ。シンプルなデザインのパッケージロゴとカラフルな瓶詰めがおしゃれでかわいいと評判を呼び、“SNS映え”すると人気を博しています。
地元で採れた新鮮でおいしい野菜をたくさんの人に食べてもらいたい。愛媛県内子町で齊藤さんが製造・販売する「GOOD MORNING FARM」のピクルスには、そんな思いが込められています。
「物心ついた時から絵を描くなど、モノづくりばかりしていた」とうれしそうに語る齊藤さんは、高校卒業後に地元・愛媛から東京に進学。デザインを学び、社会に出てからはテレビ番組のCG制作やゲーム制作などに関わるなど、グラフィックデザイナーとして仕事をしてきました。しかし、齊藤さんにとって東京の生活は、とてもスピーディだったと振り返ります。
「めちゃくちゃ忙しい生活スタイルでしたね。東京ではデザインや映像の仕事をしていましたが、冗談抜きに寝る暇もないほど忙しかったんです(苦笑)。徹夜も当たり前のような生活を送っていました」
そんな時に東日本大震災が起こりました。自身の働き方や子育てについて考えるようになったことがきっかけで、地元の愛媛に帰る決断をしたといいます。
縁あって住むことになった内子町は、齊藤さんの出身地・宇和島市から車で約1時間ほどのところにあります。昔はろうを輸出して栄えたという古い町並みが今も残り、職人イズムが文化として根付く場所。そこに惹かれて、齊藤さんは内子町に移住しました。
「子どもがまだ小さかったこともあり、移住当初は農業のお手伝いをしながら、ゆったりした生活を送っていました。何をするか、特に決めてはいなかったのですが、元々デザインをやっていましたし、モノづくりが好きでしたので、さあ、この地で何をしていこうかな? と考えていました。それに食べることが好きなので、加工品か“何か”できたらいいなあと。そんな漠然としたイメージで、モノづくりができたらいいなと当時は考えていました」
その“何か”が、ピクルス作りになりました。内子町で採れた「感動的なおいしさの野菜」を友人に届けたい、と思ったといいます。
「収穫したての数日間は、すごく感動するようなおいしさなんですけど、東京の友人にお野菜を送ると、届く頃にはもう感動するようなおいしさの鮮度が終わっているんです。それなら、東京のスーパーで買うお野菜とあまり変わらないなと感じて。だったら詰めちゃおうと思ったんです。瓶に詰めたお野菜なら日持ちするし、お酒を飲む友人たちが多かったので、そのまま食べておつまみにもなる。お料理に使うこともできますし、常備菜として使いやすいんじゃないかなと思ったんです」