仕事・人生
「この命を使うなら誰かのため」 手足3本を失った男性が美馬アンナさんに語る人生の意義
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自ら身を投げ出そうとしたこともあったが…「悩む時間は過ぎました」
アンナ:私の夫に聞かせたいですね(笑)。夫は何でも1人で頑張ろうとするタイプで、背負って背負って限界を超えてパンクしてしまうんです。誰かに助けを求めることで、人との絆を感じることはありませんか。
山田:とても感じます。絆、そして感謝ですね。家族に対する感謝、病院で助けてくれた方々への感謝、支えてくれる友人への感謝……。少なくとも僕が今ここにいるのは、怪我をした時に必死に手術をしてくれた病院の方々や、落ち込んでいる時に一生懸命笑顔にしてくれた家族、友人たちの力があったから。その人たちに何を返せるのかを考えると、自分が自分らしくいることが恩返しなんじゃないかと思っています。
アンナ:そういう方々がいなかったら、今こうやって対談できていませんよね。
山田:そうなんです! 本当に死んでいましたね。助けてもらったことを忘れてはいけないけれど、それでもつらくて、自ら身を投げ出そうとしたこともあります。でも、弱さを認めるたびに少しずつ強くなって。いろいろな傷を経験したので、大したことではへこたれなくなりましたね。悩む時間は過ぎました。
アンナ:どうして命を絶とうと思ったんですか。
山田:最初は事故後の病院で、目覚めてから10日間くらい圧倒的な絶望に襲われている時です。この時は家族や友人、病院の方々に救っていただきました。その他にも一度死にたいと思ったことがあって、社会人になる前のことでした。
リハビリを終えて歩けるようになり、車の免許も取った。職業訓練校でパソコンの使い方を覚え、寮生活もしたから一人暮らしができる準備は万端。あとは就職するだけとなった時、障害者求人を見て愕然としました。給料は額面17万円ほどで、手取りは13万円くらい。これでは東京で一人暮らしができません。
僕は事故に遭った時、大学を中退して職場では試用期間だったので、国民年金にも厚生年金にも入っていなくて障害者年金をもらう資格がありません。また、電車を乗り過ごした先の駅で事故に遭ったので、通勤経路から外れていることから労災保険が下りませんでした。さらに、片手が残り、体幹が損傷していないので重度特別障害者手当の対象からも外れています。日本の障害者保障制度には何も引っかからず、ほとんど補助がありません。
この時ばかりは、「神様は本当に意地悪だな」と思いました。障害者1級という一番上のランクにしておいて、国からの補助がない上に障害者求人は給料が安い。「お前は働かずに家で介護されて死ね」と言われている気がして、こんな社会で生きるのは嫌だと身を投げ出そうとしたんです。でもその時、奇跡的に電話をかけてきた兄に止められました。
いろいろな奇跡を経験しているからこそ、今の僕は「生きている」ではなく「生かされている」と思います。だから、やれること、やるべきこと、やりたいことがたくさんある。時間が足りないくらいです(笑)。
アンナ:これからの挑戦がますます楽しみです。おかげで私も息子に見せたい理想像に出会えました!
山田:今度ぜひ、息子さんにお会いしたいですね。今までSNSを通じて知り合ったお子さん2人に会いに行きました。求められるのであれば、これからも出かけていきたいと思っています。僕の存在が誰かのプラスになれば、この上ない幸せ。きれいごとに聞こえるかもしれないですけど、何度かなくなりかけた命を皆さんにつなぎ止めていただいた。だから、この命を使うとしたら、自分のためではなく誰かのためだと思っています。
アンナ:素敵な考え方ですね。私はこうしてお会いできただけで、胸がいっぱいです。
<終わり>
1991年生まれ、神奈川県出身。20歳の時、会社から帰宅途中に電車に轢かれ、右腕と両脚を失う。絶望を味わいながらも、周囲の愛情とサポートを受けて「誰かの勇気や刺激になること」を決意。通常は1年半ほどを要する義足歩行のリハビリを半年で終えたのち、自動車免許を取得。職業訓練校を経て、一人暮らしをしながら社会人として自立した生活を送る。インスタグラム(chi_kun0922)やツイッター(@chi_kun_cq22)に加え、昨年からYouTubeチャンネル「山田千紘 ちーチャンネル」で日常生活を発信。今では登録者数10万人を超える人気チャンネルとなった。7月23日には著書「線路は続くよどこまでも」(廣済堂出版)を出版した。
(Hint-Pot編集部・佐藤 直子)