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夫と死別した女性が60代で移住を決意 瀬戸内の小島で見つけた第2の人生の過ごし方

公開日:  /  更新日:

著者:中野 裕子

退路を断たずに1年間過ごしてみること 移住のコツ

中島と松山を往復するフェリー【写真:中野裕子】
中島と松山を往復するフェリー【写真:中野裕子】

 新型コロナウイルス感染症が流行する前は、移住者仲間と集まり食事やおしゃべり、音楽やダンスをして過ごした。ときどき松山や東京へ出かけ、買い物やお芝居も堪能。交通の便は良くないが、それも楽しんでいる。

「不便はステキなこと。松山などへ出たらおいしいパンなども買って、いつもお裾分けをくださる近所の方たちにお返しをします。ここでは、ご近所さんと『お好み焼きソースある?』『ホットケーキミックスない?』なんて貸し借りも当たり前ですから。コロナ前に移住しておいて正解だったなと思います。コロナで、大勢で集まることはできなくなりましたけど、人の行き来はあったから寂しくなかった。東京にいたら、“コロナ鬱”になっていたと思います」

 移住を考えている人にアドバイスをするとしたら、「退路を断たず、まず1年、四季を通して暮らしてみること」だという。

「私も最初の1年は東京の家を残してきました。中島の冬を経験したことがなかったので、冬に住んでみないとずっと島で暮らせるか分からないな、と思ったからです。冬はマイナス5度になることもあるので東京並みに寒いですが、雪は積もらないし気になりませんでした。瀬戸内海は台風があまり来ないし、守られている感じがします」

 多香子さんは移住に大きな夢を見ないできたことも、良かったのかもしれない。

「島の方たちの何代も続く確執の話を聞くと驚きますけど、私たち移住者はそもそも部外者なので巻き込まれませんし、私はもともと憧れを膨らませ期待して来たわけではないので、島のありのままを受け入れることができました。

 住んでみて強く感じるのは、ここでは人1人の価値が違う、ということ。1人1人が集落のかけがえのないメンバーです。高齢者も、認知症の方も、私たちのような移住者も普通に暮らせて、誰かをどこかへ閉じ込めたり、排除したりしようとしない。ここにはお金で買えないものがいっぱいある、と思っています」

(中野 裕子)