カルチャー
監督が作った運命的瞬間 ものにした森郁月 『偶然と想像』に見る“一歩踏み出す”大切さ
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森郁月、渋川清彦が見せた渾身の芝居に感動
「第二話 扉は開けたままで」の奈緒は、瀬川教授の研究室で彼の小説の官能的な部分を音読する。光に満ちた学内にいかがわしさを放ち、瀬川を誘惑しようとする。学生たちが朗らかに行き交う廊下と研究室を仕切る扉は閉められていない。聞こえてしまうかもしれないそのスリルに奈緒は少し興奮する。
奈緒と瀬川は、時に見つめ合い、時に視線を外して会話する。濱口演出の特長でもある視線の会話が展開する。扉が開いていることを奈緒はスリリングと感じるが、瀬川の意図はあくまで清廉潔白だ。奈緒が官能的な答えを期待して放つ問いを、小説を執筆する際の注意点へと変換していく。
瀬川は奈緒に言う。
「もし周囲から自分のことを無価値だと思い込まされたのだとしたら抵抗してください。社会の物差しに自分を計らせることを拒んでください。自分だけが知る自分の価値を大切にすることです。それを1人でするのはとてもつらいことです。それでもそうしなくてはなりません。そうして守られたものだけが思いがけず誰かとつながり励ますかもしれないのですから」
この言葉の前半は奈緒の悩みに対する答えであるが、後半は「小説を書くということ」についての自説だ。「自分の価値観を大切にして完成させた小説だけが誰かの胸に届くのだ」と説いている。びくともしない瀬川教授の高潔さに、奈緒も徐々に落ち着きを取り戻さざるを得ない。
狭い研究室の温度と湿度を暴力的にMAXまで上げる奈緒をとがめもせず、静かに元の空気へと戻す瀬川の力量。発する言葉とは裏腹に冷静さを取り戻していく奈緒の知性。この2つが静かに拮抗するシーンは、ものすごいパワーを放ち、映画的だ。演じる森郁月、渋川清彦による渾身の芝居に感動する。
『ハッピーアワー』の主演俳優たちがそれぞれの思惑からワークショップに参加し、人生の新たなるステージに立ったように、森郁月も濱口監督との出会いによって変化したことだろう。少なくともこの作品の公開とともに注目度は増す。これからの活躍から目をそらすことはできない。
そして、これまで濱口監督との出会いで彼女らが新たなるステージを得たように、私たちもまたいくつになろうが、もしやってみたいことがあるのであれば、一歩踏み出してみるべきだ。そう「第二話 扉は開けたままで」に促されているように感じた。いや「第二話」だけじゃない。『偶然と想像』すべてがそういう意図で作られているのだと思う。
『偶然と想像』12月17日(金)Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー(c)2021 NEOPA / fictive
(関口 裕子)
関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)
映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。