仕事・人生
長男の大病発覚が転機に…東大卒女性が奮闘した仕事と子育ての両立 起業への道のり
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長男の病気の先にも続いていく自分自身の人生
長男の発病を機に、フルタイムの仕事から離れた市原さん。当時はアルバイトのような形で知人の仕事を手伝っていたそうです。1度目の入院では化学療法がうまくいきましたが、小学2年生の時に再発。それが治まった時には子ども2人も大きくなっており、「さすがにもう大丈夫だろう」と本格的に仕事を再開しました。
しかし、化学療法で治ったと思っていましたが、6年生の時に2度目の再発。3度目の入院が決まりました。正確には、慢性骨髄性白血病への移行だったそうで、主治医からは「覚悟したほうがいい」とも言われたそうです。
「実は長男に『お仕事どうしようかな?』と意見を求めたんです。そうしたら『いや、毎日病院に来られても困るし。いいじゃん、働きなよ』って言ってくれて。本心は長男が心配で心を持って行かれながらも、男の子って強いなあと。長男とは本当にべったりとずっと一緒にいたので、満足し切っていたのかなあというのもあったと思います」
すでに会社を立ち上げていた市原さんは、看病と仕事の両立を決めました。幸いにも、免疫型が一致していた次男の骨髄提供を受けて、長男は無事に退院できたそうです。
再発を繰り返した長男を看病しながらの仕事。“辞める”という選択肢はなかったのでしょうか。
「私がずっとついていないとどうしようもない状況だったら、または残念なことにもう緩和ケアに入るしかない状況になっていたら、さすがに仕事は辞めていたと思います。ただ、長男は本当に強い子でした。骨髄移植を受ける時、自分の骨髄を叩くために無菌室に入るのですが、副作用がとてもつらい時期だったんです。そんな時にたまたま漢検(漢字検定)が重なり、彼は副作用で苦しみながらも合格しました。そんな様子を見て、『2人で病気に負けたくないよね』って思いがずっとありました」
つらい状況でも現実を受け入れ、病気と闘い続ける長男を見ながら、市原さんは勇気をもらっていたのかもしれません。仕事を辞めてしまうことは逆に、頑張っている長男に対して申し訳ない気持ちもあったのではないでしょうか。
「私は割と、自分が選んだ選択を後から良かったと思えるようにしていけばいいという、楽観的なところが元々あって。結婚も子どもに関しても、起こる時期は自分では決められないというか、何か起きた時に自分のものにしていくしかないんじゃないかと思うんですね。人生1度目なので自分でも不思議なんですけど、良い意味で諦めというか、なるようにしかならないという思いがあります」
起きたことに対して正面から向き合い、そして受け入れる。そんな市原さんだからこそ、コントロールの効かない状況下においても、うまく自身をコントロールしながらキャリアを積んでいくことができたのかもしれません。
東京大学教養学部卒業。「アクセンチュア株式会社」と「ルイ・ヴィトンジャパン株式会社」でカスタマーリレーションシップマネジメントに従事。ベンチャー企業への転職後に長男の病気が発覚し、より自由な働き方を求めて起業を選択した。2014年12月に「モデラート株式会社」を設立し、自分のクローゼットにある洋服をシーンに合わせてプロがスタイリングするパーソナルスタイリングサービスをスタート。2018年9月に自身のファッションブランド「SOEJU」を立ち上げ、同時にサービス名を「SOEJU personal」に変更した。着やすい素材、合わせやすいデザインが揃うブランドは、30~50代女性を中心に愛されている。
(Hint-Pot編集部・出口 夏奈子)