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仕事・人生

夫の赴任先で絶望…一念発起して税理士になった主婦の思い「自分を助けるのは自分だけ」

公開日:  /  更新日:

著者:柳田 通斉

第1子出産後、8か月で職場復帰 その1年後に独立

36歳で長男を出産。生後8か月で仕事復帰し、仕事に家庭に充実した日々を過ごす
36歳で長男を出産。生後8か月で仕事復帰し、仕事に家庭に充実した日々を過ごす

「それから2年が過ぎた頃、予定より1年遅れで息子を出産しました。この事務所は、産休・育休の制度も整っていたので、安心して子どもを産むことができました。子どもを持ってみると、自分の母性に驚くほど息子にメロメロに! 育休期間は大変だけど、幸せな時間でした。産後8か月で職場復帰し、息子は保育園児に。保育園初日は、置いていかれると思って大泣きする息子の声を聞いて罪悪感を抱きましたが、その後、息子は保育園大好きっ子になりました。先生方には感謝してもし切れません」

 それから1年後、板倉さんは独立。さらに1年後には、夫が札幌に転勤になりました。

「札幌に行くかは、仕事のことを考えるととても悩みましたが、かわいい盛りの息子を夫と一緒に育てたい、と思い決断しました。私は顧客対応のため、ほぼ毎週飛行機で東京に通勤することに。今なら、オンライン打ち合わせも可能ですが、当時はお客様に会うためには超遠距離通勤が必要でした。でも、私の留守の間に夫と息子の絆も深まり、自然豊かな環境でたくさんの友達にも恵まれ、札幌での2年間は家族にとって有意義な時間となりました」

 夫の転勤に伴い、横浜・東京・札幌で息子さんは保育園を5度転園しています。

子育てに奮闘も「税理士の責任は重いけどやりがいあり」

「子どもが小学校に上がる1年前に、私と息子は東京に戻りました。以降は、夫が単身赴任を繰り返すことになり、子どもと二人暮らし。個人でスタートした税理士事務所も法人化して従業員など7人の所帯となっていましたので、子育てに仕事にと忙しいながらに充実した毎日でした。

 ただ、岐阜でくよくよしたまま動き出さなかったら、人生がうまくいかないことを人のせいにして暮らしていたかもしれません。元々勉強は好きではなく、大学に落ちて浪人しても必死になれないほどの怠け者でしたが、『税理士を目指す』と決めてからはスイッチが入りました。やらされている勉強ではなく、『やるんだ』と初めて思えたからです」

 ただし、税理士の責任は重く、「一生勉強」の覚悟が必要な仕事だと、板倉さんは言います。

「税法や通達・関連法もどんどん変わり、その変化を逃さず、自分のものにして、初めてお客様のためになる仕事です。また、個人資産の知識(証券・不動産・保険など)も、アンテナを張り続けることが必要です。責任の重さから逃げ出したくなる時もあります。頑張る覚悟も必要です」

 その上で、板倉さんは「責任が重い分だけのやりがいもあります」と言います。

「頑張ることに無縁だった怠け者の私が今、頑張れています。それだけ、税理士の仕事はやりがいがある良い仕事なんだと思います」

 岐阜での大きな決断から約26年が経ち、板倉さんは当時の自分に「あの時、一歩を踏み出してくれてありがとう」と伝えたくなるそうです。そして、旦那さんの赴任先で思うように働けないなど、つらい状況に陥っている人々には、「『自分を助けられるのは自分だけ』だと伝えたいです」と話しています。

 人生は一度切り。板倉さんの生きざまは、一つの指針になりそうです。

◇板倉京(いたくら・みやこ)
1966年10月19日、東京都生まれ。神奈川県内で育ち、成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科卒。保険会社勤務後に結婚。29歳で税理士資格試験の受験を決意し、32歳で合格する。36歳での長男出産を経て、38歳で独立。主な得意分野は、相続、税金、不動産、保険。テレビでは「あさイチ」「首都圏ネットワーク」(ともにNHK)、「大下容子ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)、ラジオでは「生島ヒロシのおはよう一直線」(TBSラジオ)などに出演して解説。主な著書は「夫に読ませたくない相続の教科書」(文春新書)、「相続はつらいよ」(光文社知恵の森文庫)、「女性が税理士になって成功する法」(アニモ出版)、「知らないと大損する! 定年前後のお金の正解」(ダイヤモンド社)など多数。

(柳田 通斉)