仕事・人生
濱田マリさん「昔の方がお節介おばちゃんだったかも」 理想とする人との関わり方は
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「俳優でやっていてもいいよ」というスタンプをもらえた『血と骨』
――初めて濱田さんにお目にかかったのは、崔洋一監督『血と骨』の現場でした。また一種独特な空気の作品でしたね。ヒリヒリした空気がドーンとした重さでのしかかっていたというか。
オープンセットが味の素スタジアムの辺りに建っていました。あの時はまだ俳優としてスタートしてそれほど時間が経っていなかったので、「面白いバンドで歌っていたねーちゃんだよね」っていう人は、「崔組でこの人は何ができんの?」という感じで。そんな時に撮影監督の浜田毅さんが「この子めっちゃ頑張ってんじゃん。ちゃんとみんなやれよ」と言ってくれて。その時、初めて崔組の一員になれたのかもと思いました。
『血と骨』はいろいろな方に「観たよ」って言っていただき、「あんた俳優でやっていてもいいよ」というスタンプをいただいた作品。自分の世界を広げるきっかけにもなったと思います。ただ、撮影中はこれが正解なのか、間違っているのか、崔監督は私を起用したことを後悔していないだろうかとか、気持ちが千々に乱れていましたね。
――最近のお仕事ではいかがでしたか? 『ミュジコフィリア』は大学の音楽の准教授を演じられていました。
音楽はやっていましたが、『ミュジコフィリア』にはモダンチョキチョキズ(濱田さんの所属バンド)で作ったキャリアなんて何の役にも立ちませんでした。現代音楽のサークルの顧問という設定でしたが、現代音楽なんてまったく理解できていない(笑)。
なので、せいぜい音楽をやっていく上で悩んでいる若者たちを少しリードするくらいのつもりでやっておりました。ただ、割とたくさん出していただいたので、ドキドキしながら試写を観ましたけど、まあ本編を邪魔していないのでOKみたいな(笑)。
――クラシックよりも遠い現代音楽の距離を縮めてくれる存在でした。
私が!? まさか! 私の演じた准教授は、音楽を志す、頑張る、悩まされるとたぶん一周した上であのポジションにいる人。経験値の分、核心を突くことを天才作曲家役の山崎育三郎さんに言ってあげる。ちょっとおいしい役でした(笑)。でも、何よりもあの作品は脚本家さんとプロデューサーさん、監督さんの熱量がすごかった。京都市もむちゃくちゃバックアップしてくださって。