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寅さんに釣りバカ…「お正月映画」が目立たなくなった理由とは 映画館が見た変遷

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

かつてはお正月ムード満点 映画館には破魔矢を持った和服姿の観客も

「シネスイッチ銀座」の前身は、洋画系の名画座「銀座文化劇場」と邦画系の名画座「銀座ニュー文化」。1987年には「銀座ニュー文化」を映画製作・配給会社「ヘラルド・エース」(現在のアスミック・エース)、フジテレビ、籏興行の3社合同出資で「シネスイッチ銀座」に名称変更しました。この名前は、各国選りすぐりの新作をスイッチ(切替)しながら提供するという意味だそう。「シネスイッチ銀座1・2」と統一されたのは1997年4月でした。

 吉村さんによると、開館当初の邦画は松竹系、1987年以降の洋画系はヘラルド・エースの作品を中心に上映。そのため、邦画系のお正月映画というと『男はつらいよ』シリーズ(1969~1995)のお客さんでいっぱいだったそうです。

「当時の銀座は、お正月になるとデパートも小売店も閉まっていました。初詣の後、銀座へと足を延ばした方々は身を寄せるところがありません。行くことができる場所は映画館。映画館は、大晦日や元日も興行を行っていたからです」(※現在の同館は元日と2日が休館日)

 元日の劇場前には、『男はつらいよ』に並ぶ人々の長蛇の列。破魔矢を持った和服姿の方も多かったそうで、その列は何と銀座4丁目角の「和光」前まで延びることもあったのだそう。

 映画館側もマネージャーは礼装、従業員も何人かは和服で対応しました。いつもより念入りに清めた劇場で、従業員にお神酒やおせちを振る舞うなど、お正月ムードは今よりも高かったとのこと。元日は興行を営む人々にとって“節目の日”だったとも言えそうです。

『男はつらいよ』の興行ではありませんが、吉村さんがマネージャーになってからも、お詫びに伺うことはあったのだそう。「元日興行を行わない今となっては良い思い出です」と当時を振り返っています。

 ちなみに、吉村さんのお母様も同館で働いていらっしゃいました。たまにふらりと劇場に足を運ばれた寅さん役の渥美清さんは、鑑賞後にお母様を誘ってお茶を飲むのがお好きだったとか。渥美さんは劇場の方が見聞きした生のご意見を大切にされていたのかもしれませんね。

「シネスイッチ銀座」のオフィスにはこれまでヒットした作品の大入袋が飾られている【写真:関口裕子】
「シネスイッチ銀座」のオフィスにはこれまでヒットした作品の大入袋が飾られている【写真:関口裕子】

 1989年12月16日に公開された『ニュー・シネマ・パラダイス』も盛り上がりを見せたお正月映画の一本でした。「長蛇の列が店前をふさいでも、文化通り(現在のガス灯通り)のお店の方々には大目に見ていただいたと記憶しております」と吉村さん。やや迷惑なことでも、商店街全体の振興につながることに協力的な面は、今も昔も銀座の老舗のありようなのかもしれません。

 同作には立ち見客の熱気であふれる劇場で映画を楽しむシーンがあります。「シネスイッチ銀座」でもそのシーンさながらの光景が繰り広げられていたとは、何だか心が躍りますね。この時はプログラムの販売が劇場内だけでは追い付かず、外でも販売したそうです。