カルチャー
レディー・ガガ 渾身で表現した実在スキャンダル 時代を超えて浮かび上がるものとは
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早熟な天才少女 演技の面でも才能を発揮
ガガは裕福なイタリア系米国人家庭に生まれた。早くから音楽の才能を開花させるも、11歳から通っていたカトリック系女子校の友人たちからは「挑発的」「エキセントリック」と揶揄される。学校という長い時間を過ごす場所に彼女の居場所はなかった。
17歳でニューヨーク大学(NYU)ティッシュ芸術学校コラボレーティブアーツプロジェクト21(CAP21)に飛び級で入学した。本格的に音楽や舞台などの研究に取り組むも、さらなる飛躍を求めて2年で退学。ただしリー・ストラスバーグ・シアター&フィルム・インスティテュートでは10年間、演技の勉強を続けた。
19歳からはクラブシーンでギグを行い、2007年にソングライターとして契約。08年には「ジャスト・ダンス」「ポーカー・フェイス」を含むデビューアルバム「ザ・フェイム」をリリースし、シンガーとしてもメジャーデビューを果たした。
翌年にリリースしたアルバム「ザ・モンスター」以降の活躍は、もはや説明するまでもないだろう。ガガの音楽に共鳴するファン「リトル・モンスター」と世界中の音楽ファンに支えられ、11年には米雑誌「フォーブス」の「最も稼ぐ30歳未満のセレブ」で1位になると同時に、グラミー賞など多くの音楽賞を受賞した。
そんな彼女の活動に“演じること”の比重が高まるのは、15年に放送されたドラマ「アメリカン・ホラー・ストーリー:ホテル」のヴァンパイア、エリザベス役あたりからだ。18年の映画『アリー/スター誕生』では、著名なカントリーロック歌手(ブラッドリー・クーパー)に見出された天才歌手を演じて米アカデミー賞主演女優賞にノミネート。ガガとクーパーの歌った「シャロウ~『アリー/スター誕生』愛のうた」は同歌曲賞を受賞した。
前述のとおり演技の仕事は、歌手からの転向をはかったというより、元々勉強していたこと。やるべき時が来て取り組んだものとも言える。また、ネットフリックスのドキュメンタリー映画『レディー・ガガ:Five Foot Two』で明かされた持病、全身に激しい痛みと倦怠感を感じるという線維筋痛症の影響もあったのかもしれない。