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伊藤沙莉が見せる「負けを知る強さ」 ドライバー役の絶妙な芝居につながった道とは

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

「この仕事を諦めたくない」と強く思った瞬間

 そんな彼女の気持ちを大きく切り替えさせたのは、三池崇史監督の『悪の教典』(2012)。松岡茉優、岸井ゆきの、三浦透子らと高校生を演じたこの映画を家族で観に行き、エンドクレジットに自分の名前を見た瞬間、「この仕事を諦めたくない」と強く思ったのだそう。ちょうど高校を卒業し、子役時代の事務所から移らざるを得ない転機でもあった。

“ハングリー精神”とは異なる伊藤なりのやり方で、自分の“演技”を模索し始めたのは現在の事務所に所属が決まってから。叱咤激励を受け、へこみながらも、たくさんのヒントをもらったのは「GTO」(2014・関西テレビ、フジテレビ)の演出を手がけた飯塚健監督。文字通り転機となったのは、主演した内田英治監督作品『獣道』(2017)と、米屋の娘を演じ全国区に知られるようになったNHK連続テレビ小説「ひよっこ」(2017)だと伊藤は言う。

『獣道』では登場シーンから驚かされた。宗教にハマった親を持つ少女、愛衣(伊藤)と、彼女を助けたいと願う少年、亮太(須賀健太)が“居場所”とは何かを見出していく物語。愛衣は楚々とした可憐な少女だが、実は不良グループの美人局。しかもまんまと引っかかった高校生に、本意かどうかは不明だが「助けて」とつぶやく。その曖昧な言い方とハスキーボイスが、高校生だけでなく、観客をも魅了し、一瞬で『獣道』の世界へと導いた。

「自分で何かを決めることは苦手」な役者が気付かせるもの

 サバサバした役が多い伊藤だが、意外や素顔は受動的なのだという。「0から1を生み出すのは難しいけど、1を100にする課題に全力で応えることは大好き。自分から何かを決めることは苦手なんです」と2021年6月に出版したエッセイ「【さり】ではなく【さいり】です」(KADOKAWA刊)に記している。

『ちょっと思い出しただけ』のタクシードライバー、葉(伊藤)は、傍若無人な客にもひるまずに対応する。だが能動的にその職を選び、自分の居場所を切り拓いてきたかというとそうではないようだ。

(c)2022「ちょっと思い出しただけ」製作委員会
(c)2022「ちょっと思い出しただけ」製作委員会

 劇中、葉が大好きな映画、ジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1992)を恋人と一緒に観るシーンがある。ロサンゼルスの街をくわえタバコで運転するタクシードライバーのコーキー(ウィノナ・ライダー)が最高だったあの映画だ。

 この中に、タクシーの乗客となったキャスティング・ディレクター(ジーナ・ローランズ)がコーキーを“映画スター”にスカウトするシーンがある。でもコーキーは「私は人生プランを立てていて、その通りに進んでるから」と断る。コーキーがなりたいのは整備工。「映画に出てからでも遅くない」と言われても、「私の生きる道じゃない」と言う。

 葉はそのシーンを観ながら「私にはこんなにはっきりした人生プランはない」と言う。ある夢に軽く挫折して今の仕事を選んでいたからだ。でもその挫折は「終わりの始まり」ではないと信じている。むしろ別の夢の始まりなのだと。

 その事実を受け入れることができるかどうか、「私の生きる道じゃない」とプライドを持って言えるかどうかが、人生の居場所を見つける“カギ”となる。この作品はそれに気付かせてくれる。