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専業主婦歴20年で離婚を選択 「継ぐために生まれてきた」蔵元の娘が語る故郷愛

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

人気を呼ぶ清酒「百合仕込み」の原点 幼少期に知ったお酒の匂い

 次に井上さんは「地元の米を使ってこそ、本当の地酒なのではないか」と考えました。そこで、蔵の前に広がる田んぼで米作りを開始。その米を使って一から手造りした清酒には「百合仕込み」と自身の名前を冠しています。

自分の名前を冠した「百合仕込み」は地元産の米を使用【写真提供:井上百合】
自分の名前を冠した「百合仕込み」は地元産の米を使用【写真提供:井上百合】

「百合仕込み」の原点はまず、井上さんの幼少期にさかのぼります。その昔、女性は蔵に入れない時代がありました。

「線が引いてあって、『あなたはここから先には入ってはいけません』と言われていました。でも毎日、嗅ぎたくなる匂いが蔵の奥から漂ってくるわけです。それが何なのか、当時は分かりませんでしたが……」

 それでも井上さんは蔵に毎日通い、線のギリギリまで歩を進めては、思いっきり匂いを吸い込んでいました。大人になってその匂いと酒の味が一致した時は、泣くほど感動したのだそうです。また結婚後の井上さんは、専業主婦として家族のための食事を20年間作り続けました。

「家族のために料理を作る人なら理解してもらえると思うのですが、手早く作った料理でも食べてくれる人の顔を思い浮かべて作っているわけです。だから当時は、『今日の酒はおいしいね』と言われるより、料理を褒めてほしかった」

 そうしたさまざまな体験から立ち上げたのが、「百合仕込み」でした。自身の名前を冠したことには「大胆ですよね?」と恥ずかしそうに笑いながらも、「故郷が好きすぎて米から酒を造ってしまいました。昔ながらの九州のどっしりとしたがっつり系の酒です」と愛情を込めて語ります。名前のやわらかい響きとは裏腹に、味とはギャップがあるそうです。

「日本には四季があって、季節によって食べ物が変わる。それに合わせて酒が後からついてくるイメージ。だから私が造っている酒は香りを抑えつつ、米の旨みをしっかりと感じる最高の食中酒。料理を引き立てる酸味と甘みが融合した味わいに仕上げています」

 気になる8代目は、一人娘の華子さんが継ぐことに決まっていると語ります。

「娘が帰ってくるまでは、健康を維持しながら日田で頑張りたい。酒の味も経営の状態も一番良い時に、娘にバトンを渡したい」

 それが井上さんのモチベーション。それまではコツコツと酒を造り、酒造業という生業を続けていくのです。一度、離れたからこそ知った故郷の美しさ、そして大好きな場所で酒造りを行える幸せを噛み締めて、井上さんは今日も誠実に酒造りと向き合っています。

◇井上百合(いのうえ・ゆり)
大分県日田市生まれ。大学進学を機に日田を離れ、卒業後は福岡県内の企業に就職。お見合いを重ねる中で、社内恋愛の末に結婚。3年後に家業を継ぐことが条件だったが、夫の栄転で東京に転居する。東京で専業主婦として20年間にわたり家族を支えた後、成人を迎えた一人娘の言葉で日田への帰郷を決心。社員として酒造りの現場で一から学び、現在は7代目として「井上酒造」を経営する。これまでの事業の中心だった焼酎と清酒に、自身の名前を冠した「百合仕込み」を追加すると同時に、ブランディングにも力を入れてデザインの統一を図る。帰郷後は火事や地震、豪雨、コロナ禍と度重なる困難に見舞われているが、「から元気も元気のうち」と笑顔を絶やさず前を向いて井上酒造を盛り上げている。

(Hint-Pot編集部・出口 夏奈子)