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闘病生活から「人間鯉のぼり」のトップ選手へ 競技から学んだ継続の重要さ
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太りすぎで体を壊したことをきっかけにヒューマンフラッグの世界へ
ヒューマンフラッグで日本屈指の実力者として活躍する藤本さん。しかし、競技を始めたきっかけは数年前の壮絶な闘病生活にあったといいます。
「競技を始めたきっかけは、6年前に34歳で緊急入院したことです。当時の体重は115キロ。太りすぎで脂肪肝になり、不摂生な生活で総胆管結石を併発して全身が黄土色になりました。医師から『運動してダイエットしないとまずい』と言われ、2週間の入院後、少しずつ運動を始めることに。しかし、半年後に胆嚢の全摘手術が決まっていたため、あまり激しい運動はできず、走ると膝を痛めてしまうので、その頃の運動といえばプールで歩く程度でした」
そして無事に胆嚢の全摘手術が終了。傷が治ってきた頃に友人から「大阪に自重トレーニング専門のジムがある。運動するために行ってみないか」と誘われ、新たな世界の扉を開きました。
「そこで出会ったのがストリートワークアウトでした。入院期間中は食べたいものも食べられず、やりたいこともなかなかできないという状況。改めて健康のありがたみを感じていたところだったので、『運動不足で太って不健康になったのも自分がまいた種。二度と不健康になりたくない』と思い、このジムに参加することにしました」
しかし、30代半ばに差し掛かかった藤本さんにとってこのジムでの運動は決して楽なものではなかったそうです。
「ストリートワークアウトを始めた頃は、アクロバットや力技に魅力を感じ、フリースタイルばかり練習していました。しかし、一緒に練習するメンバーの大半は10代、20代の伸び盛りの方ばかり。彼らと比べて自分の成長に限界を感じてしまいました。そこでいろいろな技を練習するのではなく、一つの技に絞り込んで、徹底的にやろうと思うようになりました」
その中で注目したのが「競技者の間ではあまり人気のなかった」というヒューマンフラッグ。教えてくれる人もおらず、ほとんど手探りの状況で練習を始めましたが、そう簡単にはうまくいきません。鉄棒などをつかんで浮いたように見せる垂直の静止姿勢ができるようになるまでにはさまざまな工夫が必要でした。
「最初はまったくできなくて、指導者もいなかったので練習方法も分かりませんでした。毎回『手の皮が破れたら終了』といった感じでしたね。YouTubeで海外選手の動画を見ては、見よう見真似でほぼ毎日練習をしていました。なかなか“浮く”ことはできませんでしたが、ある日突然できるようになりました。そこからさらに練習が楽しくなり、どんどん練習を重ねていくという好循環に。年齢を忘れてどっぷりハマってしまいました」
そこからメキメキと実力もアップ。2019年には35秒というヒューマンフラッグ静止時間の日本新記録をマークします。それまでの記録の11秒を大きく塗り替える驚異的なタイムで、その後も記録を伸ばしました。先日の大会で日本記録保持者の肩書きこそ譲りましたが、自身の記録は更新。まだまだ伸びしろがあることを証明しました。