仕事・人生
元トップスター稔 幸さんを宝塚にとどまらせた同期の言葉 大切にした絆の重み
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インタビュアー:竹山 マユミ
名コンビとして知られた娘役・星奈優里さんとのダンスでまさかの展開が…
竹山:トップスターになられてからはいかがでしたか。
稔:私のトップスターお披露目公演は1999年の「WEST SIDE STORY」(トニー役)だったこともあって、一つの作品に対して“チームで盛り上がろう”みたいな感じがありました。ただ残念だったのは、スケジュールが本当にタイトだったため、みんなでコミュニケーションが取れなくなってしまったことでした。それまでいろいろな経験してきた身として、苦しんでいる人たちにもう少し手を差し伸べられたら良かったと思っています。
竹山:トップスターさんはセリフの量も半端ないですからね。
稔:セリフを覚えることや対処法は、そこまで時間をかけて学んでくるので、何ともないんですよ。でもシアター・ドラマシティ(梅田芸術劇場の1シアター)の作品で、確か10日間くらいしかお稽古日がなかった時は大変でした。歌詞もセリフもなかなか仕上がってこなくて、舞台稽古ギリギリまで振りも変わり、幕が開いた初日の小休憩の時にはさすがに泣けました。
竹山:それでもそんなことを感じさせないような舞台に仕上げてくるのですから、すごいことです。
稔:私の相手役の星奈優里さんは名ダンサーでしたが、そんな星奈さんもまったく振りが入らず、最後のフィナーレナンバーでは気が抜けちゃったのか、真っ白になっちゃったんですよ。普通は男役の周りを娘役が回る形なのに、男役の私が「こっちだよ」「あっちだよ」って言いながらサポートして、私が彼女の周りをぐるぐると回って……。それをご覧になった先輩から「今回のデュエットダンスはまた新しい趣向だね。男役が回るのね」と言われました。
竹山:2人の高度なデュエットダンスはいつも楽しみでした。普通の美しい王子様とお姫様というだけではない何かを感じさせられました。
稔:彼女は本当に優れたダンサーだったので、私は本当に助けられました。「WEST SIDE STORY」は本来、ショーがない作品です。それが(トップスターの)お披露目ということで、作品の著作権を持っているアラン・ジョンソン先生がニューヨークから来日して、フィナーレナンバーの振り付けを担当してくださったんです。
先生は私たちの踊り方を見て、どんどん高度な内容にしていくから、そこへついていくので精一杯。私たちはゼーゼー言いながら「もうちょっと優雅でいいんですけど」みたいな話をしていました。でも、楽しかったですね。「もっとこうした方が空間は広がるよね」とか、星奈さんと2人で話し合いながらもできましたし。それでも、今の時代の人たちはもっといろいろ激しいことをしているから大変でしょうけどね。