仕事・人生
元トップスター稔 幸さんを宝塚にとどまらせた同期の言葉 大切にした絆の重み
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インタビュアー:竹山 マユミ
「辞めちゃうかも」と漏らした際にもらった愛華みれさんからの一言
竹山:今の星組の公演をどうご覧になっていますか。
稔:いや~、皆さんすごいですよね。今だったら私は宝塚に入れないんじゃないかなと思うくらいですよ。
竹山:礼真琴さん(現在の星組男役トップ、95期)と舞空瞳さん(同娘役トップ、102期)のダンスは、まるで稔さんたちのようにすごいですよね。
稔:私から見ても素晴らしいです。「ブラボー」という言葉しかないです。
竹山:今の95期の方たちは稔さんの71期のように皆さんが活躍されていて、同じような絆で励まし合いながらやっていらっしゃるのでしょうね。
稔:でも、逆にそういう(比較の)声が先に出てくるのはプレッシャーだろうなと思います。(宝塚に)いられる時期ってある程度限られているじゃないですか。私と愛華(みれ、元花組トップ男役)は同期の中でトップになるのが遅かったから、小林公平先生(阪急電鉄の名誉顧問や社長、宝塚歌劇団の理事長などを歴任した実業家、作詞家としても活躍)にコマーシャルを作ってもらったんです。「今年からは私たちがトップになります」って言っている内容で、そんなこと後にも先にもないそうですが、周囲の皆さんは私たちの気持ちに気づいていたと思います。
自分たちは自分の組で上にしがみつき、下に押されて頑張っていただけ。気がつけば先に同期がトップになっていたという感じだったので、同時期になったという意識はあまりありませんでした。愛華に「どうするの、あなた」って言われた時、「いや、私は辞めちゃうかも」と言ったら「もうちょっと頑張ろうよ」って言われて。「じゃあタモ(愛華さんの愛称)が頑張るなら私も頑張るよ」って言ったのはよく覚えています。
竹山:その時は轟さんや真琴さんからも励ましの言葉があったのですか。
稔:あの2人は、私たちが絶対トップになると思って待ってくれていたんです。同時期になれるかどうかは分からないね、という感じでしたが。だから、トップになってみて初めて、「私たち同時期じゃない?」みたいな感じでした。
そういう意味でも、95期の方々は「同時期」と言われることでちょっとかわいそうというか、大変だろうなと思いますよ。他にも麻路さき(元星組トップ)さんの69期や姿月あさと(宙組初代トップ)さんの73期も、同期にトップスターが揃っていたわけですし。
進路をめぐって“プチ家出”した親戚の家で出会った宝塚の世界
竹山:お話の中に度々「宝塚を知らずに入った」という言葉が出てきますが、受験に至るまではバレエの世界を目指されていたのですね。
稔:いえ、実はバレエは中学1年生の時に一度断念したんです。「私はバレリーナにはなれない」と自分で見限って、趣味でやるくらいにしようと。そこからはグラフィックデザインや絵の道で芸大を目指していました。
ところが、芸大を目指すために通っていたゼミで絵を描いていた時、デッサンのモデルさんがバレリーナだったこともあって休憩時間にバレエの話をしていたんです。すると「何で踊らないの?」って言われて。その時、「絵はいつでも描けるかもしれない。でもダンスは若いうちじゃなきゃできない。踊れるうちに踊りたい」と思ったんです。そしていきなり親に「私、ニューヨークに行きます」って言っていました。
竹山:極端ですね。ご両親からは何と言われたのですか。
稔:「バカ者!」って言われました。「うちから芸人は出せません」みたいな感じでした。そこで私は親戚の家に3日間“プチ家出”。その親戚の家には、実は宝塚出身者がおりまして、「宝塚は?」と言われたんです。
女子校だったので、私の周りには宝塚が好きな同級生もたくさんいたのですが、少女漫画が好きだった私から見れば「(漫画『ベルサイユのばら』作者の)池田理代子先生の作品を舞台化しているなんてあり得ない」という感じだったので、今さら「私、宝塚受けます」とか言えなくて……。
竹山:その頃、ご家族はどんな反応でしたか。
稔:やっと納得してくれました。特に母が父を説得してくれて。受験すると決めてからは応援してくれました。でも、父は残念ながら私が高校の時に体を壊して、宝塚の初舞台を観ていないんです。兄は新人公演初主役の時に来てくれて、トップの時も観に来てくれました。
でも、私の公演を見た兄は、私が大階段を降りていくシーンで泣いているのかなと思って見たら笑っているんですよ。終演後に聞いたら「キラキラ光る燕尾服着て、大きな羽を背負うなんて普通じゃない。おかしい」って言っていました。こっちはそこまでやっと上り詰めて、家族にも「どうだ!」って見せているのに、そういう視点もあると知れたのは良かったのかもしれないですね。
<次回に続く>
※14日17時25分に記事の一部を修正しました。訂正してお詫びします。
東京都出身。1985年、宝塚歌劇団入団(71期)。愛称は「ノル」。花組公演「愛あれば命は永遠に」で初舞台を踏み、その後は星組に配属。1998年に星組トップスター就任。お披露目公演は「WEST SIDE STORY」。その後「我が愛は山の彼方に」「黄金のファラオ」「風と共に去りぬ」「花の業平」など、宝塚が誇る数々の代表作に出演。サヨナラ公演は2001年「ベルサイユのばら―オスカルとアンドレ編―」。退団後は、俳優や歌手、b-i Style特別講師、ラジオパーソナリティ、振り付け、イベント企画などで幅広く活躍。現在は主にトークショー、コンサートに出演。また、画家やイラストレーター、ガラス工芸作家としても活動している。
「峰さを理追悼チャリティコンサート~愛の旅立ち~」
【日時】7月22日(金)午後5時、23日(土)午後1時/午後5時、29日(金)午後5時
【会場】宝塚バウホール(22、23日)、日本青年館ホール(29日)
シアター・ドラマシティ30周年記念コンサート「Dramatic City“夢”」
【日時】9月9日(金)午後1時/午後6時、10日(土)午後2時、16日(金)午後2時/午後6時、17日(土)午後1時、18日(日)午後1時
【会場】東京建物Brillia Hall(9、10日)、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ(16~18日)
(Hint-Pot編集部・瀬谷 宏)
(インタビュアー:竹山 マユミ)
竹山 マユミ(たけやま・まゆみ)
明治大学卒業。広島テレビ放送のアナウンサーを経てフリーアナ、DJとして各テレビ局やラジオ局で番組を担当。コーピングインスティテュート コーピング認定コーチ。宝塚歌劇団は生まれる前から観劇するほどの大ファン。