カルチャー
日本人俳優が感じた「これぞハリウッド」な瞬間とは 苦節10年で世界的な話題作に出演
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すべてがオーディションで決まる世界 なかなかチャンスを掴めなかった日々
――小さい頃から歌や踊りが大好きでバレエを習い、友人とお芝居を演じたりもしていたとか。米国留学に憧れたのは、中学生の時に読んだ漫画「ダンシング・ジェネレーション」(槇村さとる著・集英社刊)の影響だと伺いました。しかし、すでに日本で活動を始められていたのにロサンゼルス行きを決めた背景には、どんな思いがあったのでしょうか?
日本の短大でミュージカルを学び、その後、奈良橋陽子さん主宰の演技学校「アップスアカデミー」で米国の演技を学びました。ヒラリー・スワンクが米アカデミー賞主演女優賞を受賞した映画『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)を観たくらいからは、私もこういう演技がしてみたいと真剣に渡米を意識し始めました。
ずっと準備はしていたのですが、最終的な決心をしたのは3.11(東日本大震災)がきっかけです。「日々に追われて忘れそうになっていた、自分にとって大切なものを、ちゃんと追いかけよう!」と切実に思うようになりました。
――渡米した直後は、英語やアクティングを学び、映画を観ては研鑽を積む日々。すぐには夢を実現することはできませんでした。それでも来て良かったと思いましたか?
はい。すべてがオーディションで決まる世界であり、チャンスがフェアにあるのは、何よりうれしく感じました。もちろん、そのチャンスを掴むまでが大変なのですが。
――ハリウッドで悔しい思いをしたことはありますか?
日本人役のオーディションは少ないですがあります。でもなかなかチャンスを掴めなかったのは悔しかったですね。正直ここまで時間がかかるとは思いませんでした(笑)。
――自分が演じたかった作品が公開された時、ご覧になりますか?
私は観ます、必ず。勉強にもなりますし、求められていたものが違うんだと納得することもあれば、冷静に観ていろいろ分析をして、次のオーディションに生かすことも多いです。
――英語や演技は、当初アダルトスクール(18歳以上の住民の誰もが受講できる学校)で週何日か勉強される日々だったそうですね。
ESL(English as a Second Language/非英語圏の人のための英語学習)プログラムですが、学校というさまざまな言葉を使う環境に入るのはとても良かったと思います。be動詞と一般動詞も分からないくらい文法が苦手だったので、学校ではそういった基本的なところから勉強し直しました。自分でも文法書を一からやり直したり、単語をやり直したり。
――何より「渡米しよう」と決めた度胸と決断力を尊敬します。行ってからも常に自分をブラッシュアップしているのもすごい。
でも最初の頃は、頑張っている方向が違っていたのか、とてもつらくて……。そんな時、先輩からアドバイスをいただき、オーディションを含めて、一つひとつを楽しむようにしていきました。
本当にリラックスして日々を楽しむことができるようになったのは、5年くらい前からです。好きなことのための努力はまったくつらくないんですが、努力の方向性を見失わないことが大切なんだなと思うようになりました。