Hint-Pot | ヒントポット ―くらしがきらめく ヒントのギフト―

仕事・人生

フードロスとラグジュアリーブランドをつなぐ女性リーダー 幼少からの奉仕活動が生んだ華麗なる人脈

公開日:  /  更新日:

著者:柳田 通斉

親しんできた奉仕活動が多くの人とつながるきっかけに

「米国のプライベートファンドで最大級の慈善団体『ミールズ・オン・ホイールズ』から誘われ、トラックで1日、4000軒ぐらい食べ物を配る活動に携わりました。聖心の初等科から奉仕活動には親しみがありましたし、まずは地元ロサンゼルスでできることをさせていただきたいと思いました。年齢、人種、貧富に関わらず、食事を作れないで困っている人に届けていく日々。今から20年も前ですが、当時から米国はダイバーシティ(多様性)を意識して、日本から1人で来た私のことも受け入れてくれる環境がありました」

 山田さんはロサンゼルスに転居。2006年には同団体の最年少アドバイザリーボードメンバーになり、活動を続ける中で新たな慈善活動のオファーが届きました。そして、縁がつながる動きが始まったのです。

「FOX放送(米テレビネットワークの一つ)の法務部にいた友人から『モロッコで子どもが大変な思いをしているから』と言われ、子どもたちを助けるチャリティに参加することになりました。その頃、FOXで英ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長をメインにした番組が放送されていた縁で、会長が主宰しているチャリティオークションコミッティにも参加することになりました」

 山田さんはオークションのアイテムを集め始め、手配がつくとそれらをリストにしてメンバーに配布。アイテムも手元に届いていきました。ブランソン会長はそのスピード感と実行力、事務能力を高く評価したそうです。

リチャード・ブランソン氏(右)とのチャリティ活動【写真提供:山田早輝子】
リチャード・ブランソン氏(右)とのチャリティ活動【写真提供:山田早輝子】

「最初の頃、私が集められるものに大したものはなく、他のメンバーは『HBO(米有料ケーブルテレビ局)の出演権』『フェラーリのVIP工場見学』など、ワクワクするものや豪華なものをたくさん提案してきました。ただ、提案したものをリストにして2週間後に持ってきたのは私だけだったようです。日本ではそういうことは当たり前と思っていましたが、リチャードにとっては新鮮だったみたいで、『今度は(慈善団体)ヴァージン・ユナイトの立ち上げと共同チェア(責任者)をやってほしい』と言われました。荷が重かったのですが、それを進めていく過程でいろんな方を紹介していただきました。そんな中、チャリティ活動に尽力しているハリウッド俳優ショーン・ペンのプロデューシングパートナーに出会いました。彼が私の話をどこかで聞いてきて、ハイチへの同行を依頼してきました」

 2010年にハイチ共和国で大地震が発生。ペンは自身でハイチ復興プロジェクトを組み、山田さんもそのメンバーとして現地に入りました。

「ハイチでのショーンは、率先してテントを張り、施設ができるまでは自分もテント暮らしをしていました。私は心から復興を願っている姿に感動し、ショーン、ハイチの大統領とともに動きました。そして、ハイチを離れた後、ショーンのプロデューシングパートナーから『一緒に映画をやろう』と声をかけていただきました」

 この出会いが、山田さんが映画プロデューサーになるきっかけになりました。山田さんには、エンタメ業界の友人は多くいましたが、当初は「そういうつもりで米国に来たわけじゃない」と戸惑ったそうです。しかし、ロサンゼルスは映画制作の本場。築いた人脈を生かし、さまざまな交渉を重ねる中で、同じくハリウッド俳優のアル・パチーノからも声がかかりました。

「アルが困っていることに直面した時、私がある人を知っていたことで、それを解決できたことがありました。その流れで、『私の作品にプロデューサーで入ってほしい』と言っていただきました」

 手がけたのは、アル・パチーノが出資、主演、監督を務めたドキュメンタリードラマ映画『ワイルド・サロメ』(2011年)。アイルランド出身の作家オスカー・ワイルドと代表戯曲「サロメ」、セクシャルマイノリティを題材にした作品で、同年にベネチア国際映画祭のクィア獅子賞(最優秀LGBT映画)などを受賞しています。

 山田さんはその後も映画プロデュースに携わっていますが、ネットワークは音楽界にも広がり、スティービー・ワンダー、ライオネル・リッチーら世界的ミュージシャンとの親交も深めています。慈善活動をきっかけに出会った大物たちとの縁もありますが、山田さんは「最も大きかったのは、スタン・リーとの出会い」と振り返ります。