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「私が宝塚に合格させます」 元娘役トップ月影瞳さんの受験支えた恩師との運命的な出会い

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

インタビュアー:竹山 マユミ

導いてくれた小嶋希恵先生

月影さん(右)とインタビュアーの竹山さん【写真:荒川祐史】
月影さん(右)とインタビュアーの竹山さん【写真:荒川祐史】

竹山:実際にお会いしてみて、小嶋さんはどんな方でしたか。

月影:小嶋先生は当時、長野県の御代田町にいらっしゃいました。とにかく退団されたばかりだったので、「甘いところじゃないよ」「とにかく厳しいよ」ということを言われました。それでも「実力が分からないから、見せてほしい」と言われたので、私が通っていた声楽の先生のところにお連れしたのです。そうしたら、声楽の先生は「かなり厳しい、受けても無理だろう」と言ったのです。

 すると、小嶋先生が「じゃあ、私が(宝塚に)合格させますので、今日限りここを辞めさせていただきます」と言ってくれました。当時、小嶋先生はチャレンジしようとしている子の希望を失わせたくなかったため自信はなかったけれど、私ができる限りのことをしようと思ったそうです。

竹山:月影さんにとってはまさに恩師ですね。

月影:本当に感謝してもしきれないと思っています。小嶋先生は尊敬できる私の師匠であり、恩師であり、私の一生涯の先生です。だから、そういう師との出会いがいかに大事なことかを感じています。

竹山:それでも、上田市から宝塚を目指すというのはかなり大変だったのでは。

月影:当時、芸事で高校を中退するのはめずらしいということから、騒ぎにもなりました。その時、高校の担任は大学を卒業したばかりの方だったのですが、とても良い先生でした。宝塚音楽学校を受験する時、内申書を提出する必要があったのですが、本来は内申書って生徒が見られないじゃないですか。でも、その先生はわざわざ私を呼んで、「内申書、これで大丈夫か」って見せてくださいました。「常にリーダーシップを取って率先してやっている」とか、かなり盛っていました(笑)。

竹山:ありがたいことですよね。

月影:宝塚に合格した時も先生は「内定」だと思っていて、3年生が終わった後に行くものだと思っていたそうです。だから、私が「受かったので、2週間後には宝塚に行きます」って言ったら「えっ!」となって。「じゃあ、退学届を出さなきゃいけないじゃないか」と、慌ててお別れ会みたいなものもやっていただきました。

 宝塚に向けて出発する日も、夜中なのに奥様と見送りに来てくださって、もう号泣でした。祖父や叔父も車に家財道具を積んで、一緒に宝塚まで運んでくれました。本当にありがたいというのもありますし、何かそういう人たちの「思い」みたいなものを感じて、「これはタダで帰れないな」という気持ちが強かったです。地方ならではというか、「帰る場所はないな」っていう感じもありました。

竹山:多くの方に支えられていたということですね。

月影:そうですね。やはり、受験を応援してくれた母と、受験を導いてくれた小嶋希恵先生の存在は大きかったです。また、学校の先生や親戚にも支えてもらって行けた宝塚だったので、「自分の力だけではない」と思っています。

竹山:月影さんの本気が伝わったから、支えてくれる方も多かったのでしょうね。

月影:宝塚は当時秘密の花園というか、中の様子は分からなかったので、たぶん両親も非常に不安だったと思います。携帯電話もなかったから、寮に入る時に母から365枚のはがきを渡されて「毎日何か書いて投函して」と言われました。初めのうちは生活の様子や、同室の人と何を食べたかなどを書いていましたが、そのうち「お米が欲しい」とか「おやき」とか一言しか書かなくなって……。ひどい娘ですよね(笑)。