仕事・人生
「私が宝塚に合格させます」 元娘役トップ月影瞳さんの受験支えた恩師との運命的な出会い
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インタビュアー:竹山 マユミ
ニックネーム「グン」の由来は 初めは「軍ギャル」だった!?
竹山:そんなご苦労がありながらも、宝塚音楽学校を経て入団されました。フタを開けてみれば、76期は多くの娘役さんたちがトップになられた期でもありましたね。音楽学校時代もかなり激しく切磋琢磨されていらっしゃったのでしょうか。
月影:76期の娘役は純名里沙(元花組)と風花舞(元月組)、星奈優里(元星組)、私の4人がトップになり、男役は彩輝直(元月組)がトップになりましたが、みんな“我が道を行く”ような性格でした。でも、同期は仲が良く、それぞれが個々を尊重している感じでした。今でも感謝することばかりです。
竹山:ところで、「グン」というニックネームはどうして生まれたのですか。
月影:当時、私が花組にいた時に“電話当番”というものがあり、それを担当する下級生は先輩を電話口にお呼びする時に、芸名ではなく本名でお呼びしていました。芸名も本名もニックネームも覚える必要があり、名前は絶対に間違えられないのでみんな緊張していました。宝塚の生活は毎日緊張の連続で必死になっていた様が軍隊のようにハキハキしていたそうです。
その時、当時花組にいらっしゃった愛華みれ(71期、元花組男役トップスター)さん、と橘沙恵(71期、元男役)さんに「あなた、ちょっと軍隊の人みたいじゃない」って言われて……。初めは、軍隊のギャルで「軍ギャル」と呼ばれました。他の方からも言われるようになっていくと、そのうち「もうあなたに“ギャル”はいらない」となり、「グン」だけが残ったのです(笑)。
竹山:ハキハキとされていたのは小さな頃からだったのでしょうか?
月影:そういうわけではなく、田舎ののんびりとした子どもでした。音楽学校が非常に厳しかったので「ハキハキしなければならない」という気持ちが強く、たぶん自分で意識していたのだと思います。
竹山:それでも月影さんは宝塚入団後に大きな注目を集めましたね。大役をいただくというのはどんなお気持ちだったのでしょうか。
月影:新人公演なども含め、とにかく責任の重さを感じていました。でもその中で心がけていたことがありました。
<次回に続く>
長野県上田市出身。1990年、宝塚歌劇団入団(76期)。愛称は「グン」。花組公演「ベルサイユのばら」で初舞台を踏み、1991年に花組配属。1992年に安寿ミラ・森奈みはるのトップコンビお披露目公演だった「スパルタカス」で、新人公演の初ヒロインに抜擢される。1994年に星組へ組替え。1997年「誠の群像/魅惑II」で麻路さきの相手役として星組トップ娘役就任。同年に雪組へ組替えとなり、轟 悠の相手役としてトップ娘役に。サヨナラ公演は2002年の「愛燃える/Rose Garden」。退団後は舞台「るろうに剣心」や「母の法廷」などに出演。多数の個性的な役で幅広い年齢層を演じ、注目を集める一方、上田市観光大使・上田映劇理事の他、豊島区アート・カルチャー特命大使も務める。ピラティスインストラクター資格保有者。3年間の台湾在住経験から中国語も堪能。
【日時】8月18日(木)・19日(金)午後6時30分、20日(土)午後2時/6時30分、21日(日)午後2時、26日(金)午後2時/6時30分
【会場】東京芸術劇場シアターウエスト
【金額】前売り4500円、U25(25歳以下)3800円、高校生以下1000円
【販売窓口】東京芸術劇場ボックスオフィス窓口(休日除く午前10時~午後7時)、チケットぴあ、Confetti(カンフェティ)(平日午前10時~午後6時)
(Hint-Pot編集部・瀬谷 宏)
(インタビュアー:竹山 マユミ)
竹山 マユミ(たけやま・まゆみ)
明治大学卒業。広島テレビ放送のアナウンサーを経てフリーアナ、DJとして各テレビ局やラジオ局で番組を担当。コーピングインスティテュート コーピング認定コーチ。宝塚歌劇団は生まれる前から観劇するほどの大ファン。