仕事・人生
日本人女性がケニアで学んだ人生の本質 変化した「ハッピー」のとらえ方
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夫の起業に合わせて移住したケニアで、自らもアパレルブランド「RAHA KENYA(ラハケニア)」を立ち上げた河野理恵さん。色鮮やかで独創的なデザインがまぶしいアフリカ布を通じて、自分らしく、自分に正直である生き方に出会ったといいます。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットライトを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。今回の後編では、河野さんが実体験から学んだ「失敗を成長に変えるコツ」についてお届けします。
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就活60社全落ちから、介護、フリーター、教員志望と転々
夫とともに移住したケニアでアパレルブランドを立ち上げた河野さん。その事実だけを切り取ると、華々しい世界に住む「勝ち組」の人のように思うかもしれません。でも、ここに至るまでの道のりは失敗の連続だったといいます。
「大学生の頃、就活で60社受けて全部落ちました。大企業でヒールをカツカツ鳴らして働くバリキャリに憧れて、とりあえず響きがかっこいいっていう理由でMR(医療情報担当者)を手当たり次第受けて、落ちたのを数えたら60社だったという状況です」
しかし、逆に気持ちが吹っ切れたと振り返ります。
「大学を卒業したら大企業に勤めて親を安心させることが正しいと思っていたし、周りに『すごい』と思われたかった。プライドが高くて、少し扱いにくい人間だったと思います。60社に落ちてそのプライドをへし折られて、どん底に落ちた。後は上がるだけ。やるしかない。そう思えるようになったので、本当に挫折して良かったと思っています」
ただ、なかなか抜けなかったのが、周りからの評価を気にする心。卒業後、介護職に就いたものの、1年で離職。次のステップとして選んだのは教員でした。「周りから認められやすい」と感じたそうです。
教員免許を取るために通信制大学に3年時から編入し、フリーターをしながら勉強の日々。覚悟を決めてのチャレンジかと思いきや、「単に教師になりたいから今はフリーターをしているんだって周りの人に言えることが、自分の中で安心できる材料だったんだと思います」と当時の気持ちを客観視。結局、2年半をかけて教員免許を取ったものの、教育実習で「これじゃないな」と感じ、教師になることはありませんでした。
この頃を、河野さんはこう振り返ります。
「自分が何をやりたいかというより、どうしたら周りが評価してくれるか、その正解を探す旅だった気がします」