仕事・人生
中高6年間の車いす生活経て演劇の世界へ 注目の劇作家・根本宗子さん「自然な道だった」
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演劇との出会いが根本さんの人生の転機に
根本さんは4歳の頃から歌舞伎好きの母親に連れられ、劇場に足を運んでいました。しかし、演劇は劇団・大人計画の「ニンゲン御破産」を鑑賞したことが初体験。
この舞台は、主宰者の松尾スズキさんが、歌舞伎界のスーパースターだった中村勘三郎さん(当時は勘九郎)に書き下ろしたもの。狂言作者を夢見る幕末の侍を主人公に、関わる人々の人間模様を描いた傑作でした。この舞台と大人計画に出会ったことが、根本さんの進路を決定付けたといえます。
「現在の松尾さんはまた違ったものを書いていらっしゃると思うんですけど、当時は社会的マイノリティな人たちに対する松尾さんなりの考えが特に強く描かれているように感じていて、松尾さんは『特別なもの』として描いていなかったんですよね。それにすごく救われました。
その人なりのわがままや言い分、やりたいことがあり、それを気の毒なこととして描いていない。『人それぞれだよね』『それぞれ最悪なことも最高なこともあるよね』という描き方なんです。松尾さんの芝居を初めて観た時の、演劇というこんなに面白いものが存在するんだという感動と驚きを、今でも鮮明に記憶しています」
出演者にも大きな魅力を感じ、劇場に足繁く通った理由の一つ。「『阿部サダヲ』という俳優の魅力にもうひたすら釘付けでした。どこにいても目で追ってしまうし、とんでもない色気をまとい、客席の空気を自由自在に操る姿を初めて見た時、本当に絵に描いたように自分は口を開けてしまっていたと思います」
怪我をして車いす生活が始まってからは、通学をはじめ、どこに行くにも母親に車で送迎してもらう必要があったため、自然と母と娘が過ごす時間は長くなりました。根本さんの母親には昔、脳外科で大手術を受けた経験があります。そのため、世の中には娘より大きな病気を患った人は大勢いるという考えで、過度に病人扱いをしなかったのだそう。
「母は私よりも強くいてくれました。それがプラスに働き、私の人格を形成した一つの要素だと思っているのでとても感謝しています」と語ると、「ただ当時はもう少し、かわいそうだねって接してくれてもいいじゃない、という気持ちもありました(笑)」と苦笑します。