カルチャー
三遊亭円楽さん 「命を削るほど尽力していた」 「笑点」の制作スタッフが語る知られざる素顔
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9月30日に72歳でこの世を去った落語家の六代目 三遊亭円楽さん。国民的人気番組「笑点」(日本テレビ系)では、“腹黒男”を全面に出す毒舌キャラで多くの視聴者の笑いを誘いました。しかし、実際の円楽さんは毒舌でも腹黒でもなく、気配り上手。落語界の発展に情熱を注いできました。同番組の制作に40年以上も携わり、プライベートでも交流があった制作スタッフの三木睦郎さんに、生前の円楽さんの素顔を伺いました。
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笑点メンバーでピカイチの“判断力と瞬発力” 時事・政治ネタも率先して担当
――制作スタッフとして、三遊亭円楽という落語家をどのように見ていましたか?
僕が「笑点」に加入したのは27歳で、当時の三遊亭楽太郎さん(のちの六代目 三遊亭円楽さん)が大喜利メンバーに抜擢されて3年が経ったタイミングでした。
円楽さんが大喜利メンバーに抜擢されてから長い間、彼には自分の個性を発揮しきれていないと思える期間が長く続きました。というのも、師匠の五代目 三遊亭圓楽さんが「笑点」の司会をずっと務めていて、その存在感や影響力はあまりにも大きかったですから。若さだけでなくプレッシャーもあったんでしょうね。
ただ、先代が闘病のため「笑点」の司会を降板した2006年が、円楽さんにとってのターニングポイントになったと個人的には感じています。新たに司会を務めることになった桂歌丸師匠は円楽さんに「何も遠慮することはない。私をどんどんいじっていいから」って伝えていたんです。そういう度量の大きい歌丸師匠との相乗効果もあって、円楽さんはパワーアップしましたね。と同時に、自分の殻を破れたことで人の心を掴む間の取り方なども抜群でした。
――笑点メンバーの中で、円楽さんの際立った能力は何でしたか?
大喜利でお題が出されると、メンバーの頭の中にはいくつか答えが浮かんでいると思います。円楽さんのとりわけすごかったところは、コーナー全体の流れや各メンバーの役割を見た上で、どの答えをどのタイミングで出すかという計算を瞬時に立てられていた点です。この判断力と瞬発力は、「笑点」メンバーの中でピカイチでした。
また円楽さんは、歌丸師匠が大喜利メンバーだった頃に担当していた時事ネタや政治ネタを大喜利の答えで出す役割を率先して引き継ぎました。円楽さんはその時々のホットな事象にアンテナをしっかりと張り、「歌丸師匠がメンバーにいたら言いそうな答え」を常に出していました。そうしたところにも、円楽さんの知性と才能を感じましたね。