仕事・人生
元トップスター安奈淳さん 「ベルばら」で感じた宝塚の歴史 「だから不滅と言われる」
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インタビュアー:竹山 マユミ
母の最期を看取れず…助けてくれた榛名さんは「面倒見が良い人」
竹山:「徹子の部屋」(テレビ朝日系、2022年10月5日放送分)で榛名さんと安奈さんが「愛あればこそ」(「ベルサイユのばら」劇中歌)を歌われた時、私は1人で感動の嵐でした。榛名さんとのご縁は、花組時代から築かれたものなのですか。
安奈:彼女とは「宝塚コドモアテネ」(声楽やバレエ、日本舞踊のレッスンを行う宝塚音楽学校付属の日曜教室)の時からだから、私が小学4年生頃からの知り合いです。友達というよりも、知り合いという感じなのよね。彼女は私より2つ年上。私は彼女を「きれいな人で何でもできてすごいな」と思っていたし、向こうは向こうで私に「何かヒョロヒョロってしていつも廊下の隅でピアノ弾いている」という印象があったらしいんです。10歳と12歳って、すごく違うじゃないですか。
その時の印象がずっとついて回っているみたいです。先日も2人でトークショーに出演したのですが、お互いに後期高齢者になっても、当時の関係みたいなものを引きずっていましたね。
竹山:本当に良いご関係である様子を随所でお見かけしています。宝塚に入られた時も「良かったね」と迎えてくださったのですか。
安奈:そんな感じはまったくなかったですね。組も違いますし。2年も違ったら交流もないですから。
竹山:そんなおふたりが同じ組でダブルトップスターになるとは、不思議なものですね。安奈さんが舞台に出演されていた時、榛名さんは安奈さんのお母様の面倒を見てくださったそうですね。
安奈:そうです。両親と離れて東京におりました。母が58歳で亡くなった時、私はちょうど帝国劇場の舞台に出ていて、最期を看取ることができなくて。闘病は長かったのですが、急に亡くなったもので、父はパニックになっていました。
千葉にいた妹も帰ってきましたが、わけが分からず泣いてばかりで何もできません。そんな中、榛名さんが役所の手続きから何から全部やってくれたんです。すごく冷静に、最後は死化粧までしてくれて。そうした面倒見の良いところがある人です。
竹山:本当に安奈さんを家族のように、妹のように思っていらっしゃるのでしょうね。
安奈:普段はそういうお付き合いがないんですけどね。でも、たまに仕事で顔を合わせたりすると、昨日まで会っていたような雰囲気になっちゃう。
竹山:それはやはり、宝塚という場所がそうさせるのでしょうか。「宝塚ファミリー」というような……。良いところですね。
安奈:それは年々思いますね。宝塚で男役をずっとやっていた時、体力的につらかった面があって。辞めた当初に「これから男役をやらなくてもいいんだ」と思ったら、どこかうれしいような気もしました。でも今になってみると、宝塚にいて良かったなと思いますね。