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余命3日から始まった壮絶な闘病 元宝塚トップスター安奈淳さんが感じた“生きる力”

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

インタビュアー:竹山 マユミ

告げられた余命3日 周囲がお別れの会を準備する中で奇跡の復活

自然体で過ごす安奈淳さん【写真提供:Office Anna Jun】
自然体で過ごす安奈淳さん【写真提供:Office Anna Jun】

竹山:代役さんもいらっしゃるでしょうが、やはりトップスターの代役になると簡単ではないですよね。セリフも出番も多いですし……。

安奈:宝塚時代に「虞美人」の項羽役をやった時、東京宝塚劇場での公演中(1974年7月)に、ものもらいをひどくしたような「眼瞼膿瘍」という病気になったんです。朝起きたら腫れ上がっていて、病院行ったら「切ります」と。「今日は公演があるんですけど」と言ったら「あなた、何言っているんですか」と返されて、切開したんです。

 膿を出してから眼帯をつけて楽屋に行ったら、「どうしたの」と言われて。「こんなんです」と眼帯を取ったら、大変驚かれました。そこで代役の方に「やってくれる?」と言ったら「できません」と泣かれてしまって……。仕方がないから眼帯を黒にしてもらって、“独眼竜”みたいにやりました。

竹山:それで舞台はできたのですか。

安奈:私は目が悪くてコンタクトレンズを入れているんです。舞台では劉邦(瀬戸内美八、52期)が長刀を持ち、項羽の私は青龍刀を持って、2人でにらみ合いながら降りてきてチャンバラをやるシーンがありました。私は片目が眼帯でもう片方はコンタクトですから、どうやって降りてこようかと。だって足が見えないんですよ。どうやったのか今でも覚えていません。

竹山:責任感や使命感といったものが強かったのでしょうね。

安奈:なせばなる、じゃないけど、例えばすごく難しい振付がついても、人間が振り付けることだからできないはずがないでしょう。そういう“やればできる”みたいなものが、みんなの中にあるのでしょうね。

竹山:余命宣告されていたというのは本当ですか。

安奈:はい。私の場合、最初は「今晩が峠、余命3日」でしたが、未だに生きています。

竹山:それはご自身がお聞きになったのですか。

安奈:周りの方から聞きました。だから「お別れの会を準備された方がいいですよ」って。みんな「どうしよう」って慌てて、聖路加病院の教会でお別れの会をすることになったらしいんですけど、洗礼を受けていないから断られて。それでまた皆さんが「どうしよう」と右往左往しているうちに、私が生き返っちゃったという……。その後も2~3回くらい、ちょっと危ない時期があったのですが、その時についてはあまり覚えていないですね。

竹山:お医者様も毎回びっくりですね。「この方は奇跡の人だ」と思っていらっしゃったはずです。

安奈:何しろ、良い研究材料になったことは間違いないです。初めて使うお薬もありましたからね。1粒何千円、1万円ぐらいするような。それがちゃんと私に合ったんですよ。いろいろなお薬を試してもらったおかげです。