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なぜ最も不利な野球を選んだのか? 元高校球児のパラやり投げ選手が歩むアスリート道

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

支えとなった“前例”、ジム・アボット投手の存在

山崎:でも、最初はバットが重くて片手では振れませんでした。そこで、父が僕をスポーツ用品店に何軒も連れていって「一番軽くて短いバット見せてください」と聞いてくれたところ、大人ならインコースしか打てないような68センチの短いバットが見つかったんです。

アンナ:素敵なお父さん!

山崎:ただ、それでも速い球だと打ち負けてしまう。その時、少年野球チームの代表が「右手はないけど、左手を倍鍛えればいいんだよ」と言ってくれたんです。このシンプルな言葉に救われました。だから、学校から帰った後にゲームで遊んでいたのをやめ、左手で毎日500回素振りをするようになりました。

アンナ:言葉に背中を押されたんですね。

山崎:「よく片手で打てるね」と言われますが、実際には右手も添えているので、ボールがバットに当たる瞬間は両腕の力が働いているんです。どうやったら右手の力をバットに伝えられるか。考えた技術を繰り返し練習しました。おかげで高校時代にはホームランも打てるようになりました。

アンナ:あの、いわゆる高校野球、ですよね。すごくないですか!?

メジャーリーグで活躍したジム・アボット投手【写真:Getty Images】
メジャーリーグで活躍したジム・アボット投手【写真:Getty Images】

山崎:メジャーリーグで活躍したジム・アボット投手に大きな影響を受けました。僕が知った時はすでに引退後でしたが、右手がないながらノーヒットノーランも達成したことがある投手。そういう存在がいたから、僕は夢を抱くことができました。プロ野球選手になりたいと自分を信じ続けられたのも、アボット投手がいたからです。

アンナ:私たち夫婦もアボット投手の存在に救われました。産院の先生が本をくださったんです。息子がお腹にいた時から「男の子だったら野球?」と聞かれていたので、右手がないと分かった時は「キャッチボールをさせてあげられないな」と悲しみのようなものがありました。だから、アボット投手の存在を知った時、本当に光が見えたというか、前を向くきっかけをいただきました。

山崎:前例として何かを成し遂げた人がいるだけで、夢や希望が抱けるんですよね。やはり子どもの頃に一番大切なことは、夢を持つことだと思うんです。

アンナ:でも、今では山崎選手ご自身が夢を与える存在ですね。

山崎:僕自身、そういう存在になりたいと思って競技をやっている部分があるので、そう感じていただけるとうれしいです。

アンナ:私たちには想像できない努力があったから、高校野球でもできたんでしょうね。

山崎:工夫は必須でした。教科書がないので、野球の動きは自分の体を使いながら研究する。中学では二塁手でレギュラーになり、ダブルプレーも取れるようになりました。