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影響を与える人になりたい…障害者野球からパラやり投げ選手へ 転向にあった思いとは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

障害者野球で世界大会準優勝も…「大きな発信力を持つためには」

──大学からは障害者野球に転向されました。

山崎:高校までは「学生スポーツで活躍したい」という一心で野球をやっていましたが、障害者野球で日本代表になり、世界大会出場を目指すことにしました。「周りに影響を与えるアスリートになりたい」と思ったんです。

アンナ:「活躍したい」から「影響を与えたい」に目標が変わったんですね。次のステップに進んだというか。

山崎:高校野球を引退した後に、目標を失ってしまった時期がありました。「自分は何をしているんだろう」「何のために生きているんだろう」とまで考えて、あの頃が一番つらかったですね。

アンナ:それだけ野球に全力を注いでいたんでしょうね。

山崎:何か目標を持たなければと思った時、たまたま高校2年の英語の授業で障害者野球が題材になっていたことを思い出しました。調べてみたら次の年(2014年)に世界身体障害者野球大会がある。「これだ」と思い、硬式から軟式に切り替えて練習を始めました。夏休みが終わる頃に障害者野球の東京ブルーサンダースに入って、いきなり「日本代表になりたいんです」と。なめているのかと思いますよね(笑)。

世界大会で準優勝した当時の山崎晃裕選手【写真提供:山崎晃裕】
世界大会で準優勝した当時の山崎晃裕選手【写真提供:山崎晃裕】

アンナ:でも、実際に翌年には日本代表として世界大会に出場したんですよね。すごい行動力です。

山崎:はい、1番・左翼で出場して準優勝できました。チームのMVPもいただきました。

アンナ:山崎選手は周りに影響を与えたいという気持ちが強いし、そうなるべき人なんでしょうね。だから、アンテナを常に張りめぐらせていて、きっかけを逃さずに掴む嗅覚もある。

山崎:高校野球を引退した後、自分が活躍した時の周りの反応や、自分が与えられているものを考えた時、「あ、こういうことなんだ」と自分の使命みたいなものに気づきました。

アンナ:でも、すぐに障害者野球からパラやり投げに転向してしまうんですよね。

山崎:はい。世界大会が終わった後、すごくもやもやした気持ちに襲われて……。盗塁がなかったり、義足の選手が打者の時は代走が出たり、障害に合わせた工夫はされていますが、パラリンピックの種目に野球はない。それに代わる世界大会はありますが、メディアで取り上げられることも少なく、知ってくれている人の少なさに悲しくなってしまいました。

アンナ:なるほど。多くの人に影響を与えたいという思いとの差があったんですね。

山崎:そうですね。野球は好きですが、アスリートとして成長し、大きな発信力を持つためには、やはりパラリンピックに出場するしかない。そこでパラ選手の発掘イベントに参加して、いろいろな競技を体験してみました。

アンナ:子ども向けにも同じようなイベントがあります。

山崎:たまたま障害者野球の世界大会で同部屋だった選手がやり投げもやっていて、自分もやってみたいと思っていたんです。イベントで初めて槍を投げたり、陸上関係者の方に話を聞いたりして、やり投げの練習会に参加することにしました。そこで出会ったのが、順天堂大学の卒業生でパラ陸上強化委員を務めている佐藤直人コーチです。佐藤コーチに誘っていただき、2016年から順天堂大学を拠点に練習するようになりました。