仕事・人生
“おネエ系パパ”率いる大家族で思春期に注目を浴びた次女 人生に影響を与えた父の言葉と存在とは
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自分に嘘をつかない父の生き方を尊敬するように
この頃、晴子さんは中学校にあまり行っていませんでした。俳優を目指し、芸能事務所に所属しましたが、自分のやりたいこととは方向性が違うと感じていたため、高校の進学先についても悩んでいたそうです。
「声を褒められたことがあって、それを生かしていきたいと思っていました。あるとき、そんな話を父にしたところ『フリーアナウンサーが授業や部活に講師として来ている高校がある。そこなら晴子に合うのでは』と教えてくれました。父がすすめてくれたその高校に入り、そこでフリーアナウンサーという仕事を知って、私もこういう仕事をしたいと志すようになりました。父が自分の強みをいかせるように方向付けてくれたわけです。それからは父を尊敬の目で見られるようになりました。
そして、高校生になったら父をもう完全に受け入れていました。これが自分のパパで、これが家族なんだと」
そのように人生の道筋を付けてくれたお父さんを、今はどうとらえているのでしょうか。
「自分に素直な生き方をしているなと、すごく感じています。それを背中で見せてくれる。当初、父は俳優をしていたのですが、好きな俳優業から自分が輝ける場所をショーパブに移し、エンターテインメントの仕事で家族を養ってきた。誰になんと言われようと自分を貫いてきた、自分に嘘をつかない人です。だから、ほかの人と感覚もファッションも髪型も違っても、恥ずかしいと父自身が思っていません。そういう父だからこそ私たちも受け入れていますし、自分に嘘をつかない生き方は素晴らしいです。
また、子どもたちを親子というより一人の人間として扱ってくれているところが幼い頃からありました。『晴子はこうでしょ、でも朝子(長女)はこうだよね』と、その子に合わせて対等の立場で話してくれて、やりたいことを導き出してくれました」
そうできるのは、お父さんが子どもたちのことを気遣い、よくコミュニケーションを取っていたからでしょう。
「父と母はすごく仲が良くて、コミュニケーションをよく取る。それを常に見てきたので、子どもの私たちの間でもコミュニケーションが活発です。現在は両親と弟が1人実家にいて、ほかは独立していますが、田中家は個々の個性がすごく強く、家族が集まると個性がぶつかり合います。意見を言い合うし、喧嘩もする。それが楽しい。自分らしくいられる場所で、それが父と母が作った田中家なのです」