仕事・人生
子ども6人の大家族を育んだ性的マイノリティのパパ 伝えてきたことは「自分に正直に」
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幼少期に傷付くことも生きていくうえで必要
子どもたちの個性を大切にする方針は、ときに摩擦を生み出すことも。協調性を養っていくことは大切だという前提で、みんな一緒である必要がないと感じたことに対して、学校のPTAとやり合うこともあったそうです。
「小学校のPTAと対立したこともありました。次女の晴子の学年は、行事があるとみんなでそろいのブーツにするなど決められてしまう。私はそういう、みんな一緒というのは大反対。『好きな格好で行けばいいじゃない。まだ小学生なんだから、それぞれ個性があっていいはず』と。それに加えて、経済的な余裕がない家庭だってあります。うちはとくにそうでしたから」
十数年前、田中さん一家は「“おネエ系パパ”の大家族」としてテレビで紹介されました。それをきっかけに、田中さんが性的マイノリティであることが子どもの同級生などにも知られることに。そのときの子どもたちの反応はどうだったのでしょうか。
「注目されるようになったのが、ちょうど次女の晴子が反抗期の頃でした。PTAとの問題があって親同士の仲が悪かったこともあり、性的マイノリティであることを冷やかされるんですね。次女の反抗的な態度には、そういった外からの誹謗中傷も影響していたと思います。ほかのきょうだいたちも傷付いていたと思いますが、晴子だけ特別扱いはできません。それに、社会で生きていくのにそういう傷付き方は必要だと思う。社会に出たら、仕事ができないなど、何かしらの誹謗中傷は絶対にあります。それに勝つ力を持たないと」
田中さん自身、子どもの頃に「男女(おとこおんな)」など心ない言葉で揶揄され傷付いたことがあったそう。
「傷付いていくうちに、私には他人にはない魅力や何かがあるから誹謗中傷を受けるんだと考えるようにしました。『むしろ妬まれているうちは大丈夫。逆に優しくされたりしたら、自分は下に見られているんだ』と、そう考えて心を強くしていったんです」
当時、反抗期だった晴子さんにはどのような対応をしたのでしょうか。
「晴子には『ごめんね」と謝ったのを覚えています。私自身のあり方は変えられない。だから謝るしかなかったんです」