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仕事・人生

子ども6人の大家族を育んだ性的マイノリティのパパ 伝えてきたことは「自分に正直に」

公開日:  /  更新日:

著者:坂本 俊夫

自分にも他人にも“正直”に 「自分で責任が取れる一番の生き方」

 田中さんがショーパブなどで活躍していた十数年前と比べると、世界的にも性的マイノリティへの認知や理解が進んでいます。株式会社LGBT総合研究所が2019年に発表した調査によると、全国20~69歳のうち10%が性的マイノリティに該当。ただし、これはあくまでもカミングアウトしている人たちの割合です。実際にはもっと多い可能性があります。

 そうした背景もあり、性的マイノリティを守るための法整備に関する議論が活発化している現在、田中さんはどう考えているのでしょうか。

「(以前と)変わっていないかな……。今も昔も、周りは性的マイノリティのことを本当には知らないでしょう。といっても、以前も今もそんなに否定されているわけではないと思うんです」

 子どもの幼少期から性的マイノリティである父親の姿を見せ、時間をかけてコミュニケーションを重ねてきた田中さん。正直に生きることの大切さや自身の人生観については、子どもによく伝えてきたといいます。

「私は自分にも、他人にも“正直”に生きてきました。それが自分で責任を取れる一番の生き方。嘘をつくと他人まで巻き込んでしまい、他人の責任も取らなければならなくなってしまう場合があります。子どもたちにも、他人のことやその気持ちを考えなさいと言っています。また、他人のために行動するときは、見返りを求めたり駆け引きをしたりしてはいけない。それは“嘘”になってしまうから」

“おネエ系パパ”から“おネエ系おじいちゃん”に

 個性や正直さを大切にしてきた、田中さん流の子育て術。6人の子どもたちは成人し、今ではそれぞれが社会人として立派に活躍しています。最近では長男夫婦に子どもが産まれ、田中さんはおじいちゃんになりました。新たな命の誕生を受け、今後の夢も膨らみます。

「楽しかったと思って死にたいですね。今後も、子どもたちが子どもに恵まれたらうれしい。みんなで旅行に行きたいと思います」

 大家族の“おネエ系パパ”から“おネエ系おじいちゃん”へ。3世代大家族に囲まれた田中さんは笑みを絶やしません。

◇田中庸浩(たなか・つねひろ)
1955年、東京都江東区生まれ。父は理髪店を経営。モデル事務所を経て、19歳で演劇の世界に。「普通の仕事につきたい」と、24歳で銀座の婦人靴店に勤務。モデル事務所時代のマネージャーのすすめでオーディションを受け、ミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に合格したが、肝臓の病で入院して断念。その後、劇団東京乾電池、新宿のギャルソンパブ、川崎のゲイバーを経て、バー経営。2023年2月に閉店。
夫人が綴るブログ「田中家GAGAのブログ

(坂本 俊夫)