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仕事・人生

宝塚で異色経歴持つ元男役・北翔海莉さん トップ就任の打診を3度断りながら決めた覚悟

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

インタビュアー:竹山 マユミ

芸能生活25周年を迎えた北翔海莉さん【写真:冨田味我】
芸能生活25周年を迎えた北翔海莉さん【写真:冨田味我】

 宝塚歌劇団で抜群の歌唱力と演技力、華麗なダンスと三拍子そろった実力派としてファンを魅了した元星組男役トップスターの北翔海莉さん。専科(特定の組に所属しない団員の集まり)を経てのトップ就任という異色の経歴を持ち、退団後も舞台などで大活躍しています。OGたちの視点からクローズアップする「Spirit of タカラヅカ」では、今年芸能生活25周年の節目を迎えた北翔さんにフォーカス。周囲も期待していなかった宝塚受験後の生活、専科からトップスター就任を打診されたときの思いなど、宝塚をこよなく愛するフリーアナウンサーの竹山マユミさんが伺いました。3回にわたってお届けします。

 ◇ ◇ ◇

社会勉強の感覚で宝塚を受験 「同世代が必死に取り組む姿を見ようと…」

竹山マユミさん(以下、竹山):芸能生活25周年、本当におめでとうございます。25周年をどのように受け止めていますか。

北翔海莉さん(以下、北翔):どうもありがとうございます。まず、本当にここまでやるとは思っていなかったっていうのが正直なところと、あとはあっという間だったという感覚はまったくなくて、本当に長い道のりだったなって思います。

竹山:なぜ、長いと感じたのだと思いますか?

北翔:私は、もともと宝塚ファンというわけではなく、宝塚歌劇団に入る準備をしっかりしてから受験したわけではありませんでした。だから、入ってからの紆余曲折というか、本当にいろいろな試練や壁にぶち当たりながら、それでも立ち止まることもなく、歩み続けてきたからそう感じるのだと思います。それがスムーズではなかったというわけではありません。自分の人生を振り返ってその歩みは正しかったなとは思っているんですけれども、そのときの歩み方にしてみたらずいぶん遠回りをしたり、いろんなことがあったりしたなっていうのがあります。

竹山:宝塚音楽学校の受験を中学校の先生にすすめられたというのは、本当なのでしょうか。

北翔:はい。本当です。嘘はないです(笑)。

竹山:バレエや声楽を習っていて目指したということでもなかったのですか。

北翔:もともとは自衛隊に入りたかったんです。父が自衛隊に入っていたものですから。だからそういう(宝塚という)世界があることも知らなかったですし、宝塚の舞台を観たことがないまま受験したんです。その後、1次試験に通ってから、2次試験の面接前に初めて舞台を観ました。どんなところを受けたのかちゃんと観てから面接を受けないとまずいなと思って、確認したくらいでした。

竹山:いざ受験するときには、どのような決意がありましたか。

北翔:担任の先生から「絶対受からないから受けてみて」って言われまして……。絶対に受からない、っていう前提だったんです(笑)。

竹山:え~っ! それでも、1回の受験で合格されたのですよね。

北翔:そうです。15歳で合格しました。でも、身内や周りから受験前にかけてもらった言葉は「絶対に受からないから安心して」っていうものだったんですよね。

竹山:好奇心のような気持ちもあったのでしょうか。

北翔:好奇心というよりは、同世代の人がひとつのものに向かって、必死に取り組んでいる姿を社会勉強で見てこようみたいな感覚でしたね。何か、自分が受けるというより、周りの人を見に行ったっていう感じでした。

竹山:試験の中には声楽やバレエなど、いろいろありますよね。それはどう乗り越えられたのですか。

北翔:願書が来てから慌てて練習しましたね。でも、私が歌ったとき、試験官の方の反応は良くなかったです。私は、蚊の鳴くような声で歌っていたんですよ。たぶん音痴ではなかったとは思うんですけど、もう耳を澄まさないと聞こえないぐらい声が小さかったので……(笑)。

竹山:それが、スターさんとしてみなさんを魅了するような歌声になられるなんて……。受験をすすめてくれた先生方に本当に感謝ですね。

北翔:あとで知ったのですが、試験官の先生方の評価はみんな「×」だったらしいのですが、あのときに小林公平(元阪急電鉄社長、元宝塚歌劇団理事長)先生だけが「○」だったそうなんです。だから、本当に小林先生の“先見の明”だったんじゃないですかね。でも、入った当初はもちろん成績も一番下でした。そこで小林先生に呼ばれて「とにかく挫折しないで。辞めないで」って言われたんですよ。ビリなのはみんなわかっているから、それでも辞めないで、って。

竹山:その励ましの言葉を聞いて、どのように感じましたか。

北翔:もう逃げ道がないんだと思っていました。

竹山:辞めようって思ったタイミングはなかったのですか。

北翔:帰る場所がないんだとは思っていました。戻るっていう感覚はなかったですね。

竹山:歌やダンス、そしてサックスやピアノなど、北翔さんは芸達者で知られていますが、こうした習い事は音楽学校から始めたのですか。

北翔:楽器やフラメンコをやり始めたのは劇団に入ってからですけど、土台は音楽学校で全部、一から先生方に叩き込んでいただきました。たぶん“真っ白なキャンバス”だったんでしょうね。すべてが。だから先生方が芸を仕込みやすかったというか、癖がなかったんじゃないですかね。