仕事・人生
注目高まる二拠点生活の現実 「地域おこし協力隊」として活動する建築家の奮闘とは
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都市部などから地方に移り住み、地域活性に取り組む「地域おこし協力隊」。長野県立科町で空き家対策などの業務に就いている秋山晃士さんは、同じ建築家で先輩隊員でもある永田賢一郎さんの紹介で着任してから約1年が経過しました。前後編の前編となる今回、秋山さんには移住のひとつの形ともいえる「二拠点生活」のリアル、また若き建築家が隊員として活動する意義などについて聞きました。
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夢の実現のために東京の設計事務所を退職 目指した「地域おこし協力隊」
大学院で建築学を学んだ秋山さんは、東京の設計事務所で研鑽を積み、「いつかは地方で役に立つ仕事をしたい」という思いを抱いていたといいます。東京の設計事務所で働いていたのは、主宰者が東京都と宮崎県を行き来するような仕事をしていたから。少なからず、影響を受けたと感じています。
夢を実現するために独立を目指し、事務所を退社したのは2022年。地方であれば、建築を通じて行政や住民と近い距離で仕事ができるのではないかと考えたとき、たまたま目に留まったのが「地域おこし協力隊」でした。
制度を確認し、検討を重ねているとき、「担い手がいなくなった宿泊施設の運営」や「商店街の活性化」といった活動内容の募集を見つけました。そこで、同じ建築家でもある配偶者が長野県内の別の市に応募したところ不採用に。それでもめげることなく、今度は岡山県のとある市に2人で申し込みましたが、やはり採用には至りませんでした。
「何が理由だったのかはわかりません。もしかしたら実績や社会経験の乏しい自分たちでは無理なのかもしれない、そもそも向いていないのかもしれない……。もう『協力隊』は諦めようかと思っていました」と振り返ります。
そんな秋山さんに転機が訪れたのは、昨年春のこと。大学時代の先輩から紹介されたのが、すでに立科町の「地域おこし協力隊」として活動していた永田賢一郎さんでした。面識こそありませんでしたが、活躍ぶりは耳にしていたので、「協力隊」への意欲を思い切って相談してみることに。すると、「募集しているので、ぜひ!」と誘われたそうです。
実は当時、翌年で任期終了を迎える予定だった永田さんにとっても、建築家が後任になることは願ってもないことだったのでした。
偶然の出会いとタイミングが、秋山さんの人生を動かし始めます。話はとんとん拍子に進み、2022年8月から着任することが決まりました。
念願の「協力隊」の仕事は二拠点生活の始まり やってみて知ったメリット
当初は想定していなかった長野県立科町への移住。地域の印象は、「自分も静岡県の田舎出身なのですが、『ずいぶんと田舎に来ちゃったな』だった」と振り返ります。夜道で野生のシカに出会うと「天然のサファリパークみたい」と感じ、店が少なく夜も真っ暗になる環境は、どう考えても不便に思えたそうです。
それでもやりたかった「協力隊」の仕事。ただ、すでに東京の住まいを引き払って実家の静岡県沼津市に戻り、近くで設計事務所兼コーヒーショップを設立する計画も練っていたため、立科町の採用は「二拠点生活」の始まりでもありました。
移住には大きな決断が必要かもしれません。しかし、今までの暮らしをある程度維持しつつ、新たな生活にもチャレンジする二拠点生活ならば少しハードルが下がるので、検討しやすくなる人もいるのではないでしょうか。
秋山さんの日常は、基本的に週末になると片道約4時間かけて配偶者の待つ静岡県へ戻り、週明けになれば、再び立科町に戻ってくるという生活です。どちらにいても休息らしい時間はあまりないといいます。
「体力的には大変ですね。着いたら、まず仮眠したいと思いますから。ただ1年間やってみて『今日は下道に降りて山梨ルートで帰ろう』とか、『あのサービスエリアで休憩しよう』なんて、少し余裕が出てきて楽しめるようになりました」
体力面だけでなく、「沼津にいると立科町のことが気になり、その逆もあってフラストレーションを感じることもあります」と秋山さん。それでも、メリットを感じている点は少なくありません。
たとえば、田舎特有の小さいコミュニティのなかにある人間関係の濃さも、「自分も田舎育ちなので不自由さは感じません。ただ、ちょっと離れる時間があることで適度な距離感を保てるというか、自分のペースを掴めるような気がしています」と正直に打ち明けます。なにより、「ちょっとつらいことや嫌なことがあっても、移動中に頭と気持ちを切り替えられる」そうです。