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東京圏地価上昇率1位は意外な穴場 都心から30分の「北の鎌倉」 かつて“幻のディズニーランド”計画も
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我孫子市「とにかく子育てに関してはどこにも負けない」
一方、行政側は地価上昇についてどのように捉えているのでしょうか。
我孫子市の青木章副市長は、転入者が増えている現状を踏まえ、「都心の人たちが子育てをする段階になると、やっぱり環境のいいところで子どもをのびのびと育てたいという感じで我孫子に移り住んできてくれて、手賀沼を含めた自然環境をすごく楽しみながら子育てをされているのが大きい」と分析しています。
子育て政策は目玉の一つで「歴代市長がずっと強く打ち出してきました。とにかく子育てに関してはどこにも負けないようなことをやっています」と胸を張ります。待機児童は35年間ゼロ。小中学生の給食費は、物価高のなかでも値下げを断行しました。我孫子に移住したり、子育てをしてもらうための若手職員による検討会も設置。10年ほど前からは、マスコミ経験者を任期付き職員に雇い、移住・定住の動画を作成するなど、プロモーション活動を続けてきました。こうした内外の努力が実を結び、移住者が増えているとの考えを示します。
「あとは交通ですよね。常磐線はもちろん、千代田線の始発駅でもある。霞が関に乗り換えなしですから、国の官僚さんもたくさんお住まいです。最近では上野東京ラインが開通しましたから、東京、品川まで30~40分ぐらいで行けちゃう」。つくばエクスプレスの開業で混雑が緩和していることもポイントに挙げました。
歴史の文人を魅了した手賀沼 手賀沼ディズニーランド構想も
青木副市長は、かねて我孫子が持っていた地理的な魅力に注目しています。
「もともとの魅力と言えば、我孫子のシンボルは手賀沼なんですけど、首都圏で都心から一番近い天然の湖沼なんです。過去に明治、大正、昭和と文人たちが、この手賀沼の魅力に魅せられて、大挙して我孫子に住み、我孫子が一大文化村になりました」。志賀直哉を始め、武者小路実篤やバーナード・リーチなど名だたる文人が我孫子に居を構えたのは、その風光明びな自然環境に魅了されたからです。
一方、その景観のすばらしさや土地の広さから、1964年東京五輪前には手賀沼ディズニーランド構想が持ち上がったことがあります。
61年発行の「広報あびこ」には、施設の計画図が掲載されています。手賀沼の一部を埋め立て、水上を空中ケーブルでつなぎ、我孫子と対岸の沼南地区(現・柏市)に大規模な遊園地を建設するというものでした。市役所で保管している「我孫子市史 近現代篇」には、手賀沼ディズニーランドと称した詳しい経緯が書かれていました。当時の経済人らが米国に開業したディズニーランドを視察し、子どもだけでなく大人も楽しめるレジャー施設を我孫子に作ろうと発案したそうです。
青木副市長は「アメリカのディズニーランドがここに来るという話ではないです」との認識を示しつつ、「ディズニーランドのような総合レジャー施設が我孫子で計画をされたのは事実です。私が記憶しているのは、当時は我孫子町の広報の第一面に構想が載ったんです。手賀沼を埋めてレジャー施設を作る。向こう側(柏市側)にロープウェーを走らせるというものでした」と続けました。