仕事・人生
「寿退社がうらやましいと思う時代だった」 銀行を辞めてドイツ系証券会社に転職 輝く起業家のこだわりとは
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妊娠、出産…仕事は続けたかったものの「状況を考えると無理」
新しい職場の証券会社では、日本支店長の秘書として勤務。ドイツ語を用いる機会が多く、充実していました。
「社内では英語が日常的に使われていましたが、ドイツ語を話せる人はいませんでした。なので私にとって、ドイツ人上司である支店長と直接ドイツ語でコミュニケーションが取れることは大きな武器でしたし、なにより、毎日ドイツ語で話せたことが私自身、気持ち良かったし、うれしかったんです」
小林さんは28歳で銀行員の男性と結婚します。結婚後も仕事を続けていたそうですが、なんとなくいづらくなってしまったところで長女を妊娠、切迫流産の危機にあったことで退職を決意しました。
「正直、仕事は続けたかったんです。でも、当時の状況を考えると無理だったと今でも思います。当時は、家事も子育ても女性がやるもので、そのうえ仕事も……というのは、私には難しかったと思います。子育てをしている時期に、携帯電話やパソコンが出回り始めたんです。仕事をしていた頃は秘書という仕事柄、パソコンよりもタイプライターを使っていた世代だったので、パソコンになじみがありませんでした。でも、役職定年した父が、大変そうだったけどそれでも楽しそうにパソコンに向かう姿を目にしました。そこで私もやってみたいと思うようになったんです」
父親のパソコンを触っているうちに、どんどんその魅力にハマっていったそうです。
そんなときに、配偶者のシンガポールへの転勤が決まりました。当時は、海外から連絡を取る手段といえば、料金の高い国際電話か手紙がメインだった時代。「メールって何? これを使えばタイムリーに日本の友人と気軽に連絡が取れる」と知り、育児の合間に図書館で本を読むなどして、独学でパソコンについて学び始めたそうです。
シンガポールへの引っ越しを終えると、小林さんは現地の日本人会のなかでパソコン教室があることを知りました。パソコンの知識を専門的に学びたいと思い、問い合わせみたところ「なぜか教えるほうになってしまったんです」といいます。
「当時はまだパソコンが普及し始めたばかりの頃で、教える人が少なかったようで『こういうことが知りたいので教えてください』と伝えたら、その内容が少し高度だったみたいで……。逆に『そういうことなら、先生として教えてください』と言われてしまったんです」
こうして、ひょんなことから、小林さんはシンガポールでパソコン教室の“先生”になりました。