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「まさか自分が…」と気づかず 介護と育児の“ダブルケア”、今後3人に1人が経験する予測も

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・白石 あゆみ

育児や学校で感じるダブルケアの見えない壁

 Aさんが介護していることを自認したのは、母の体に異変が起きてから4年が経った頃。母が寝たきり状態になって初めて、「とっくに介護が始まっていたことに気がついた」と話します。にっちもさっちもいかなくなったAさんは、地域包括センターへ相談しにいくことに。実は、それまでにも車椅子を借りにいくなど利用していましたが、相談には至っていませんでした。

「相談後、要介護認定を受けることになりました。母はすでに普通のトイレへひとりで行くのすら困難な状態でしたが、最初に要介護認定を受けたときの判定は要支援1。家族はこんなに大変なのに……」

 要支援1とは、日常の基本的な動作は自力で行えるものの、部分的な介助が必要な状態をいいます。しかし、Aさんのお母さんは、体調の良い日は体を動かせるものの、寝たきりの日も少なくありませんでした。

「仕事との両立に悩んだことも少なくありません。たとえば、通院送迎サービスを利用し始めた頃、マンションの下まで母を迎えに来るように言われていました。在宅勤務とはいえ、オンラインでの会議などですぐに離席できない場合が多くあります。そのことを説明し、玄関までの移動介助をお願いしたのですが、なかなか聞き入れてもらえず苦労しました」

 介護が始まると、縦割り行政による“見えない壁”がたくさんあると感じたというAさん。また、介護に関することだけでなく、学校や病院など生活のなかでも「それぞれに壁を感じました」と話します。

 とくに学校については、保護者会やPTAの参加など、介護で忙しくても「親ならやって当たり前」という風潮が今でも強く残っています。Aさんは、子どもたちがコミュニケーションを取りにくくなってしまわないよう、介護をしながら根回しにも心を砕いたそうです。

職場の理解や介護支援を受けたことで好転し始めた現在の生活

 この7年、母の体調が右肩下がりのなか、子どもが不登校になったり、中学受験を希望したりと、状況は常に変化してきました。それでも仕事の成果を変えたくなかったAさんは、早い段階から職場に対し直談判。午前5時に始業し午後2時頃に終業、午後の時間は母の通院介助などに当てる、自分のペースで働くスタイルを確立していったそうです。

「人間が弱っていくプロセスは同じです。私の状況は特別ではないのだと会社にわかってもらうために周囲ともコミュニケーションを取りました。介護の話を日常会話に織り交ぜていくことで、介護の悩みを話しやすい職場の雰囲気ができています」

 現在、母は要介護4に認定され、リハビリに通うようになりました。望むリハビリができるようになり、母は生きる希望を持てるように。そして、Aさんにもようやく少しだけ、自分の時間を持てる余裕が出てきたそうです。

 Aさんが同じくダブルケアをする人や予備軍の人に強く伝えたいのは、「自己犠牲はやめるべき」ということ。もともと、物事を切り離して考えるのが得意なタイプのAさんであっても、家族のために自分が我慢せざるを得ないことも多く、何度も悩み堂々めぐりしてきたそうです。しかし、介護や育児のフェーズは刻々と変わっていきます。家族を支え続け、頑張りたいときに踏ん張るためにも、「自分を一番大切にすることを忘れない」ことが重要だといいます。