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「食材をそろえるのが最大の難題」だったパリでの大使公邸料理人 異国で「日本が誇るべき料理を出す」ことへのこだわり

公開日:  /  更新日:

著者:Miki D'Angelo Yamashita

大使公邸料理人としてパリへ

大使公邸料理人時代の秋吉さん【写真提供:秋吉雄一朗】
大使公邸料理人時代の秋吉さん【写真提供:秋吉雄一朗】

 秋吉さんはそれまでパリを訪れたことがなく、そのときが初めてだったそうです。日本から同行した家族とともに、大使公邸料理人としての生活が始まりました。

 渡仏するにあたり、秋吉さんが目指そうと強く思っていたことがあります。それは、「瓢亭」のような茶懐石をパリで多くの人に知ってもらうことです。

「日本が誇るべき料理を出すことを心がけていました」

 しかし、日本に比べてパリは旬を表現できる素材が少なく、流通システムも異なるため、当初は食材探しが大変だったと振り返ります。

「食材をそろえるのが最大の難題でした。会食直前まで探して、急いで仕込みしてという毎日。その当時は右も左もわからない。それで疲労困憊する毎日でした」

 とくにヨーロッパの魚介は日本に比べると、どうしてもクオリティが劣ります。それを日本で提供するのと同じレベルで料理に仕立てなければなりません。さらに、食材探しとともに苦労したのが器でした。「瓢亭」で料理を彩っていた由緒ある骨董や作家ものの器とは違い、大使館が所有する大量生産の食器で料理を出さなければなりません。

 それでもさまざまな工夫を凝らし、向付けや椀盛り、八寸など、日本の美しいスタイルを再現し、紹介することに全力を注いだ秋吉さん。

「『いろいろな大使館に呼ばれてきたが、あなたの料理が一番おいしかった』と言っていただけたときが一番うれしかったですね」

 新しい挑戦をしたことで引き出しが増えたといいます。

3年の任務を終えて一時帰国

 パリでは他業種の人とも交流を広げ、本場のフランス料理を味わい、さまざまな発見をすることで感性を磨いたそうです。日本から離れたことで、視野を広げることができたとか。そんな充実した日々を過ごし、3年の任期を終えて帰国することになりました。

 この頃、秋吉さんは「自分の城を持ちたい、茶懐石の店を持ちたい」と強く思うように。勝負の場として、京都ではなくパリを選びました。パリでは日本料理への憧れや求める声が高まっていることを感じ取っていたからです。

 2016年末にいったん帰国すると、パリでの開業を目指し、まずは出張料理人として仕事を開始します。知り合いを頼り、イベントなどに参加すると口コミで広がっていきました。

 同時に、パリで茶懐石の店を開くために人脈を広げ、交渉を続けました。ついに投資家の方々の支援を受け、オープンへの道筋が見え始めます。パリでの物件探しを始め、友人たちの協力で、ようやく決まったのは2019年のことでした。

 さっそく工事を始めようとした矢先、予期せぬ事態が起こりました。新型コロナウイルスのパンデミックで、すべてがストップしてしまったのです。

 次回は、パリでの開店からミシュラン一つ星を獲得するまでの軌跡を紹介します。

(Miki D’Angelo Yamashita)

Miki D’Angelo Yamashita

コロンビア大学大学院国際政治学修士、パリ政治学院欧州政治学修士。新聞社にて、新聞記者、雑誌編集記者、書籍編集として勤務。外信部、ニューヨーク支局、パリ支局、文化部、書籍編集部、週刊誌にて、国際情勢、文化一般を取材執筆。