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仕事・人生

波乱万丈の人生を楽しみ続けるシンガー由美子さん バブル期の華やかな生活を捨てて32歳で渡仏したワケ

公開日:  /  更新日:

著者:Miki D'Angelo Yamashita

32歳で海外へ飛び出すことを即決

 料亭の常連さんからも、日本舞踊の先生にも引き止められたものの、由美子さんは1996年、32歳で日本から飛び出す決意をします。

「女性は、35歳以降になると行動力や決断力が鈍る。何かを覚えることに柔軟性がある年齢は、30代初めぐらいまでと常々感じていたので、今行かないと一生後悔すると即決しました」

 とはいえ、どこに行って何をするか、すぐには頭に浮かびません。

「ファッションに興味があったので、テキスタイルデザインを学んで、ファッションの一端に関われるような仕事ができたらいいなと、漠然と考えていました。フランス料理やワインも好きだったので、どうしたってフランスになるんですよね。何をするにも言葉ができないとと、まずは語学学校へ行くことにしました」

 こうして具体的なことは決まらぬまま、フランス南東部にあるアルプスの街・アヌシーにある語学学校へ通い始めました。しかし、この街でその後の進路を決定づける、運命の出会いを果たします。

「新橋の料亭の常連の方から、アヌシーに住む社長夫人を紹介していただいたんです。日本が好きだと聞き、着物でお茶をたてたら喜んでくれて。旦那様の誕生パーティーに招待していただいたんです」

 屋敷に足を踏み入れると、バラの花が天井から階段、床にまで配された幻想的な空間が広がっていました。そのとき、フラワーアレンジメントを手がけた、パリの花学校の校長であるモニク・ゴーチェ氏を紹介され、彼女の教室に通うことをその場で決めたのです。

パリで一番人気のフラワーアーティストのもとで研修できることに

「パリの花学校では、午前中の授業が終わると、2時間は庭の木の下でワインを飲みながらランチをしていました。午後のレッスンは午後2時から5時までの3時間。そんなゆるいコースだったので、ルーヴル美術館に通ったり、頻繁に舞台観劇をしたりしていました。センスを磨くベースにもなったかと思います」

 卒業後、国家資格であるフランス園芸協会(DAFA)1級に合格したものの、滞在費が底を突いてきます。日本に帰って花関係の仕事をするにも、フランスでの実地経験がなく、それでは日本で通用しない。そう悩んでいたところ紹介されたのが、フランスやアメリカの映画にも出演していた日本人女優の谷洋子さんでした。

 谷さんは「私が頼めば大丈夫」と、富裕層御用達の生花店、ピエール・デュクレールに直談判。由美子さんは無給ながらも、インターンとして仕事をさせてもらえることになりました。

 オーナーのピエール・デュクレール氏は、果物や野菜を生花に入れ込んだデザインを得意としており、フランスでは一番人気のフラワーアーティストでした。2週間の滞在で花代を500万円も使うサウジアラビアの王子様のためのフラワーデコレーションや、パリ16区のブルジョア顧客の邸宅のインテリアなどを見ることができ、ここでの10か月のインターン経験は、のちのデザインやアレンジの発想に役立っていきます。

 次回は、フランスでの充実した生活から、日本帰国後の生計を立てるにもひと苦労した時期を振り返っていただきます。

(Miki D’Angelo Yamashita)

Miki D’Angelo Yamashita

コロンビア大学大学院国際政治学修士、パリ政治学院欧州政治学修士。新聞社にて、新聞記者、雑誌編集記者、書籍編集として勤務。外信部、ニューヨーク支局、パリ支局、文化部、書籍編集部、週刊誌にて、国際情勢、文化一般を取材執筆。